和久庄(読み)わくのしよう

日本歴史地名大系 「和久庄」の解説

和久庄
わくのしよう

古代の和久郷(和名抄)に成立した荘園。当初建春門院の御願寺最勝光さいしようこう(跡地は現京都市東山区)領であったとされる。のち大覚寺統に伝領されたが、後醍醐天皇により東寺(現京都市南区)に施入された(東寺文書)。しかし東寺領肥前国松浦まつら(現佐賀県唐津市)の替地として長講ちようこう(跡地は現京都市下京区)領となり、応永一四年(一四〇七)長講堂御領目録(八代恒治氏所蔵文書)に「庁分」として「丹波国和久庄肥前国松浦庄替 年貢米六十石」がみえる。なお、中原康富の日記「康富記」文安六年(一四四九)七月一一日条に「次向近習三番金山方宿、冷泉烏丸留守也、申置了、彼所領丹波和久也、和久ト今安ト其間廿町許、便状可伝下之由申之」とみえ、室町幕府近習になっていた金山氏(佐々岐庄に本拠があった)が、当時和久庄のなんらかの権益を有していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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