改訂新版 世界大百科事典 「福知山藩」の意味・わかりやすい解説
福知山藩 (ふくちやまはん)
丹波国天田郡福知山(現,京都府福知山市)に藩庁を置いた譜代小藩。初期の有馬氏は外様中藩。1585年(天正13)小野木重勝が3万1000石で入封したが,関ヶ原の戦で西軍に味方して自刃し除封となる。1600年(慶長5)6万石で入封した有馬豊氏は,父則頼の所領摂津三田(さんだ)2万石を併せ,過酷な総検地で石高を12万石とした。本格的な城郭はこの時代に整備完成したものといわれる。21年(元和7)には岡部長盛,24年(寛永1)には稲葉紀通が入封しているが,紀通は発狂して家臣を殺し除封。49年(慶安2)より松平(深溝)忠房の治世20年を経て,69年(寛文9)朽木稙昌(くつきたねまさ)が3万2000石で入封。統治体制はようやく定着をみるが,享保(1716-36)のころ大火,洪水,大地震,大凶作などが相次ぎ藩財政は極度に悪化した。厳しい節約令と年貢の増収などで藩政改革を試みたが,1732,33年と2年続きの大凶作に対応できず,34年に大一揆が勃発した。1860年(万延1)には過酷な諸取締りに反抗した大規模な百姓一揆が起こり,藩側はその大半を廃止した。8代昌綱は蘭学大名として知られ,9代綱方,10代綱条は藩校惇明館を興し好学の風を進めた。幕末期には飯田節(みさお)を中心とする12人の尊攘派が,目付角川彦右衛門を暗殺している。特産物として綿,漆,蠟,サンショウなどがあり,朽木氏時代の藩領は天田郡62ヵ村3万0890石と近江国高島郡4ヵ村1110石。1871年(明治4)福知山県となり,豊岡県を経て76年京都府に所属する。
執筆者:野田 只夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報