豊茂村
とよしげむら
[現在地名]長浜町豊茂
天保九年(一八三八)以前は上土谷村と称し、天保郷帳にも「上土谷村」とある。肱川左岸山間部に位置する。
「大洲旧記」によると、永正七年(一五一〇)宇都宮宣綱が築城した笠間城があり、宣綱の孫綱友は天正一五年(一五八七)下城し、曾孫の代から村庄屋となり以後世襲した。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の喜多郡の項に「上土谷村 日損所、茅山有」とある。村の耕地は、山田・山畑半々であった。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」には、土産として「米上・大豆下・胡麻上・麦上・芋・ケシ炭」をあげ、土地の概況を「近来貧の者多し」と伝えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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