日本歴史地名大系 「喜多郡」の解説
喜多郡
きたぐん
県の中央部。北流する肱川の中流域と、その支流で南流する
郡名は「三代実録」貞観八年(八六六)一一月八日条の「割伊予国宇和郡為宇和喜多両郡」を初見とする。宇和郡の北部をさす「きた」を佳名の「喜多」と表記したのであろう。北、岐多などの異記がある。「和名抄」に「喜多郡」と記し、「岐多」と訓じる。郡内にあった
〔原始〕
〔古代〕
喜多郡が分立して一九年経過した元慶八年(八八四)一〇月一七日の太政官符(類聚三代格)によれば、伊予国から喜多郡に少領一員を置くよう請願し許された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報