賀子・岩崎(読み)かこ・いわさき

日本歴史地名大系 「賀子・岩崎」の解説

賀子・岩崎
かこ・いわさき

狩野かの川の支流大場だいば川流域にあったと思われるが、比定地未詳。弘治三年(一五五七)九月三日の山木大方朱印状(修禅寺文書)に「かこ・ゆわさき」とみえ、北条氏康が妹山木大方の亡夫堀越六郎(今川義元の家臣)菩提のため両所から年貢一五貫文の地を申受け、山木大方は同地を亡夫の菩提所に予定していた正覚院(現修善寺町修禅寺明山憐察の隠居所)寄進、代官に清水惣兵衛を任じている。翌永禄元年(一五五八)六月一日の北条氏康判物(同文書)には「三嶋之内賀子・岩崎」とみえ、堀越六郎貞基入牌領として安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 領有 加古 家臣

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む