朝日日本歴史人物事典 「賢和」の解説
賢和
平安前期の法相宗の僧。「けんな」ともいう。元興寺で性相を学ぶが,近江国野洲郡奥島(滋賀県近江八幡市)に住んで堂舎を建立し,奥島の神の神託を受け,貞観7(865)年,これを神宮寺とした。同9年には播磨国明石郡(兵庫県明石市)の魚住泊を同国講師の賢養と共に再興し,また承和年間(834~848)に律師静安 の造った近江国和邇泊(滋賀県滋賀郡)の修造を企て,国司の協力を求め,受理された。時に伝燈法師位。魚住泊の再興は三善清行や重源によって回顧され,清行が延喜14(914)年に提出した政治意見書「意見封事十二箇条」では,賢和の菩薩業,利他業を讃え,その死去から約40年が過ぎたとしている。
(岡野浩二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報