大和(読み)だいわ

精選版 日本国語大辞典 「大和」の意味・読み・例文・類語

だい‐わ【大和】

〘名〙 大いに調和すること。すぐれた調和。また、非常にむつまじいこと。
※戦陣訓(1941)一「克く世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり」 〔易経‐乾卦〕

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デジタル大辞泉 「大和」の意味・読み・例文・類語

やまと【大和/倭】

旧国名の一。五畿に属し、現在の奈良県にあたる。大和政権の発祥地で飛鳥あすか藤原京平城京などが置かれた。もと「倭」と書いたが、元明天皇の時、「倭」と通じる「和」の字に「大」をつけて「大和」と書くよう定められた。
《都がにあったところから》日本の異称。おおやまと。
(大和)旧日本海軍の世界最大の戦艦。昭和16年(1941)竣工しゅんこう。排水量6万9000トン。昭和20年(1945)、沖縄へ出撃の途中、米機の攻撃により沈没。
[類語](日本日の本八洲国やしまくに大八洲おおやしま秋津島敷島葦原あしはらの中つ国豊葦原とよあしはら瑞穂みずほの国和国わこく日東東海扶桑ふそう神州本邦本朝ジャパンジパング

やまと【大和】[神奈川県の市]

神奈川県中部の市。相模原台地の東部にあり、東の横浜市との境を境川が流れる。住宅地。南西部は厚木航空基地の一部。人口22.8万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「大和」の意味・わかりやすい解説

大和/倭 (やまと)

狭義では奈良県の一地域,ついで奈良県全部,広義では日本全体を指した語。大和政権の領域拡大とともに日本全体を指すにいたったもの。狭義のヤマトは,《古事記》《日本書紀》に,奈良を過ぎヤマトを過ぎ葛城(かつらぎ)へ,という歌謡があるように,奈良の南方で葛城の東北方の,大和国城下(しきのしも)郡大和(おおやまと)郷,今日の天理市新泉町の大和(おおやまと)神社周辺の地とされる。このヤマトは,葛城と並んで土着の勢力の中心地。やがて畿内豪族の連合政権である朝廷が奈良盆地に拠点を置くと,今日のほぼ奈良全県をヤマトと呼ぶようになった。語義は山に囲まれた処(と)の意かという。筑後国の山門(やまと)などとは,同じトでも当時のトの音が異なり,意味も別である。倭という漢字は,回り遠い,従順,矮小などの意だが,中国で古くから日本を指すのに用いられたので,5世紀の倭の五王のころには〈倭国王〉と自称するようになり,意味の上では本来関係のない倭という字とヤマトという訓とが結びつくこととなった。7世紀から8世紀にかけて,国号には倭の字を避け,〈日本〉という表記を用いるようになり,その訓もヒノモト,オホヤマト,オホヤシマなどとしてヤマトとはいちおう区別し,倭国,大倭国といえばふつうは奈良全県を指す行政区域名となった。律令体制下の1国としての大倭国は,737年(天平9)から747年まで〈大養徳国〉と表記を改め,757年(天平宝字1)ころから大和国と表記されるようになる。しかしその後も引き続き,一般には倭,和の字やヤマトという語は,日本的,日本風を意味するときに使われている。
(わ)
執筆者:

大和 (やまと)

同型艦〈武蔵〉とともに,旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦。第2次世界大戦前に対米英数的劣勢を質的優位で対抗するために,当時の日本海軍が造艦技術の粋を結集して建造を推進した。本艦は1937年呉工厰で起工,41年開戦直後に完成した。常備排水量6万9100トン,全長244m,速力27ノット。主砲は当時の最大口径40cmを超える空前絶後の大口径の46cm砲であり,また備砲と同等の威力の砲弾に対して主要部分を防御するため徹底した集中防御方式を採用した。本艦の建造に際してその建造要目は最高機密とされ,極秘裏に巨艦を建造するためにあらゆる苦心と努力が払われた。大戦中は連合艦隊旗艦として使用されたが,航空主体の近代海戦においてはすでに主砲威力を有効に発揮する機会がなく,戦争末期の45年4月,水上特攻部隊として沖縄に向け出撃し,九州南西方において多数の米艦載機の攻撃を受けて沈没した。なお,2番艦〈武蔵〉は42年三菱長崎造船所で完成,44年10月レイテ沖海戦において沈没,3番艦〈信濃〉は,建造途中で航空母艦に改装され,44年11月横須賀海軍工厰で完成,同月潮岬沖で潜水艦の雷撃により沈没,4番艦は開戦後建造が中止された。
執筆者:

大和[市] (やまと)

神奈川県中部の市。1954年市制。人口22万8186(2010)。相模原台地の東縁を占め,北東部を境川,西部を引地川が流れる。鎌倉時代は渋谷荘司,室町時代は関東管領家,戦国期には小田原北条氏の支配下にあった。江戸時代は旗本領となり,多くの旗本の知行地とされ,下鶴間は大山街道(現,国道246号線)の宿駅として栄えた。1926年に相模川の砂利輸送のため神中鉄道(現,相模鉄道)が通じ,29年には小田急江ノ島線が通じてその交点の大和駅周辺の都市化が進んだ。41年には隣接する綾瀬市域にまたがって海軍工厰,海軍航空隊が設置され,厚木飛行場が設けられた。飛行場は第2次大戦後アメリカ軍に引き継がれて厚木航空基地となっている。戦後,付近一帯の畑地には灌漑工事が施され,モデル農業地区となっていたが,50年代後半以降工場誘致が相次ぎ,自動車,電気関連などの大工場が立地した。また交通至便なため,京浜地区のベッドタウンとなり,東急田園都市線も小田急江ノ島線の中央林間から東京渋谷へ直通し,東京都心と直結している。
執筆者:

大和[村] (やまと)

鹿児島県奄美大島中部,東シナ海側に臨む大島郡の村。人口1765(2010)。湯湾岳(694m)を主峰とする急峻な山々が連続し,海岸まで迫る。海岸は複雑なリアス式海岸で平地に乏しく,前面にはサンゴ礁が発達している。海岸線上に点在する11の集落は湾奥の小平地に立地し,耕地はきわめて狭く,零細規模の兼業農家が多い。亜熱帯気候を生かしたスモモ,ポンカン,タンカン,野菜,茶などの栽培が行われる。漁業はホタ,チビキ,タイなどの一本釣りを主とし,モズク,アオサなどの養殖業も伸びている。湯湾岳周辺の亜熱帯林(天)には,アマミノクロウサギ(特天)をはじめとする珍しい動物が多く生息する。恩勝(おんがち)の開饒(ひらとみ)神社は奄美糖業の祖直川智をまつり,大和浜には島内に唯一残る奄美独特の高倉群が見られる。また出入りの多い海岸線は風光に優れ,奄美群島国定公園に属する。
執筆者:

大和[町] (たいわ)

宮城県中部,黒川郡の町。人口2万4894(2010)。鳴瀬川の支流吉田川の流域を占める。西部は泉ヶ岳北東麓の山地・丘陵で,東部の吉田川中流域に平地が広がる。中心集落の吉岡は,仙台の北を守る要地として1616年(元和2)伊達政宗の三男宗時が城下町を開いたことに始まり,23年以降は奥州街道と羽後街道の分岐点の宿場町として発展,5・9の日の六斎市が開かれてにぎわった。米作を中心とする農業が主産業で,シイタケ,ナメコなど林産物の特産もある。東北自動車道大和インターチェンジ付近に大規模な工業団地が造成され,企業が進出している。吉田川支流には南川ダムが1987年完成した。陸上自衛隊駐屯地がある。
執筆者:

大和(岐阜) (やまと)

大和(島根) (だいわ)

大和(新潟) (やまと)

大和(広島) (だいわ)

大和(福岡) (やまと)

大和(佐賀) (やまと)

大和(茨城) (やまと)

大和(山梨) (やまと)

大和(山口) (やまと)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和」の意味・わかりやすい解説

大和
やまと

山梨県北東部,甲州市南東部の旧村域。秩父山地南麓に位置し,笛吹川支流の日川に沿って集落がある。 1941年鶴瀬村,初鹿野村,田野村,日影村,木賊村の5村が合体して大和村が成立。村名は5村の和を祈念してつけられた。 2005年塩山市,勝沼町と合体して甲州市となった。中心集落の初鹿野笹子峠北麓にある交通の要衝。 JR中央本線,国道 20号線,中央自動車道が集中する。農林業が主産業で,石灯籠,庭石,石材なども産する。武田氏終焉の地で,日川上流の天目山には棲雲寺があり,山麓の景徳院には武田勝頼の墓がある。

大和
やまと

佐賀県東部,佐賀市中部の旧町域。脊振山麓から佐賀平野にかけて広がる。 1955年春日村,川上村,松梅村の3村が合体,1959年町制。 2005年佐賀市,諸富町,富士町,三瀬村の4市町村と合体して佐賀市となった。古代肥前国国府の所在地といわれ,東部の久池井には国指定史跡の肥前国庁跡 (一部は公園化) があるなど,縄文時代,弥生時代,古墳時代の遺跡に富み,条里地割が分布する。尼寺 (にいじ) ,国分など国分寺にゆかりの深い地名をもつ集落がある。米作を主とし,ミカン,カキ (柿) を栽培する。干し柿は名産。酪農も行なわれ,缶詰,乳製品の工場がある。金立山付近は川上金立県立自然公園に属する。

大和
やまと

山口県南東部,光市東部の旧町域。中国山地南端の丘陵地に位置する。 1943年岩田村,三輪村,塩田村,束荷 (つかり) 村の4村が合体して大和村が発足。 1971年町制。 2004年光市と合体。周南工業地域の発展に伴い,1970年頃から住宅地化が進展し,人口が増加した。平地が少なく階段状耕地で米作が行なわれる。石城山 (353m) にある古代の神籠石は国の史跡。石城山県立自然公園に属する。束荷は伊藤博文の生誕地。

大和
だいわ

広島県南部,三原市北西部の旧町域。吉備高原にある。 1955年椹梨村,大草村,神田村の3村と豊田村の一部が合体して町制。 2005年三原市,本郷町,久井町と合体して三原市となった。旧安芸国の東端に位置し,沼田川の支流椋梨川とその支流徳良川流域に開ける。農業が主産業で米作のほか,モモを中心とする果樹栽培が行なわれる。西部の白竜湖,北部の神田大池は釣りやハイキングの好適地となっている。

大和
やまと

岐阜県中央部,長良川上流域にある地区。旧町名。 1955年山田,弥富,西川の3村が合体,1985年町制。 2004年3月八幡町はじめ2町4村と合併し,郡上市となった。大部分は山林原野で,周辺で米作が行なわれるほか,製材業も発達。長良川の支流小間見川のオオサンショウウオの生息地は天然記念物。東氏館跡庭園 (名勝) がある。区域の一部は奥長良川県立自然公園に属する。峡谷沿いに長良川鉄道,国道 156号線が走る。

大和
やまと

福岡県南西部,柳川市南部の旧町域。筑紫平野の南端にある。 1907年塩塚村,鷹尾村,有明村の3村が合体し大和村となり,1952年町制。 2005年柳川市,三橋町と合体し柳川市となる。東は矢部川,西は矢部川の分流塩塚川に挟まれ,北部のクリーク地帯と南部の有明海の干拓地からなる。早くから機械化農業が発達し,米作,イグサの栽培が行なわれる。沿岸ではノリの養殖,貝類の水産加工も発達。

大和
やまと

新潟県南東部,南魚沼市北部の旧町域。六日町盆地の北部にある。 1956年藪神村,浦佐村,大崎村,東村の4村が合体して大和村となり,1962年町制。 2004年六日町と合体して南魚沼市となった。主産業は農業で,スイカを特産。中心集落の浦佐にはスキー場があり,毘沙門堂の裸押合祭で知られる。越後三山への登山口もある。八色原には国際大学が 1982年に開校。一部は越後三山只見国定公園に属する。

大和
だいわ

島根県中部,江川 (ごうがわ) 中流域の地域。旧村名。 1957年都賀行村,都賀村,布施村の一部が合体して成立。 2004年 10月に邑智町と合併して美郷町となる。江川が山陰,山陽の連絡路であった頃は物資の集散地として栄えた。地域の大部分が山地で,かつての和牛飼育に代わってシイタケを栽培。夏季は江川のアユ釣りが盛ん。地域の一部は江川水系県立自然公園に属する。川沿いを JR三江線,国道 375号線が通る。

大和
だいわ
Daiwa Co., Ltd.

百貨店。石川県金沢市の香林坊店を核に富山県などにも展開する。1923年京都大丸との提携により創業した宮市百貨店を前身として,1943年丸越と合併し設立,金沢市,新潟市,富山市,高岡市に店舗を構える。戦後,印刷,出版(勁草書房),ホテルなどの分野にも事業を拡大した。1958年長岡店開設(2010閉鎖)。1967年大和ハウジング(2011閉鎖),1970年金沢ニューグランドホテルを設立。1975年上越店開設(2010閉鎖)。1986年香林坊に日本海側最大規模の店舗をオープンし新たに本店とし,同時にコーポレートアイデンティティを導入。

大和
やまと

茨城県中西部,桜川市中部の旧村域。筑波山地の北麓にある。 1954年雨引村と大国村が合体して大和村が発足。 2005年岩瀬町,真壁町と合体して桜川市となった。米作のほか,野菜やスイカの生産が盛ん。石材加工も行なわれる。楽法寺の観世音菩薩立像は国の重要文化財に指定。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大和」の解説

大和
やまと

日本海軍の超戦艦。海軍軍縮条約の制限から離脱すると,日本海軍は従来の条約型戦艦を圧倒する超戦艦の建造を計画し,大和を1941年(昭和16)12月18日呉海軍工廠で竣工させた。備砲46cm9門,排水量6.8万トンで史上世界最大の戦艦。戦争中連合艦隊旗艦となり,マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦にも参加したが,連合軍の沖縄本島来攻時,海上特攻艦隊旗艦として敵上陸点に突入しようとし,45年4月7日九州南方海上でアメリカ空母機に撃沈された。

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デジタル大辞泉プラス 「大和」の解説

大和(やまと)〔戦艦〕

日本海軍の戦艦。大和型戦艦の1番艦。1940年進水、1941年就役の超弩級戦艦。連合艦隊独立旗艦。全長263メートル、最大幅約39メートルの世界最大級の戦艦として有名。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加。第二次世界大戦末期の1945年、沖縄での特攻作戦に向かう途中でアメリカ軍の攻撃にあい被爆、被雷。徳之島沖で沈没し、3000余名の乗組員が犠牲となった。

大和〔タバコ〕

大蔵省専売局が1904年に発売した国産の紙巻たばこ。日露戦争の戦費調達を目的として施行された煙草専売法のもとで発売された最初の4銘柄のひとつ。値段は最高級ブランドの「敷島」の次に高い。

大和(やまと)〔サトイモ〕

富山県南砺市で生産されるサトイモ。形状は丸~俵型、加熱すると粘りけが強く甘みがある。昭和30年代に導入された品種。

大和(やまと)〔道の駅〕

佐賀県佐賀市にある道の駅。国道263号に沿う。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「大和」の解説

大和

正式社名「株式会社大和」。英文社名「Daiwa Co., Ltd.」。小売業。大正12年(1923)前身の「宮市百貨店」創業。昭和18年(1943)設立。本社は金沢市片町。北陸の老舗百貨店。旗艦店の金沢・香林坊店を軸に新潟・富山でも店舗展開。東京証券取引所第2部上場。証券コード8247。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大和の言及

【天御中主神】より

…王権を基礎づける神話として《古事記》神話が編成された時,その冒頭に置かれて神々の世界を統括した宇宙最高神。中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。この神は天の中心にあって不動の北極星を神格化した神である。アメノミナカヌシノカミはこの天皇大帝の観念の借用であり翻訳であった。この神は《古事記》神話のなかで,民間の太陽信仰を統括かつ祖神化した皇室の天照大神(あまてらすおおかみ)によって,尊厳を具体化され,神話の根幹は,天御中主神→天照大神→天神御子→初代天皇という展開をたどって,王権神話を完成する。…

【大和国】より

…旧国名。和州。現在の奈良県。
【古代】
 畿内に属する大国(《延喜式》)。添上(そふのかみ),添下,平群(へぐり),広瀬,葛上(かつらぎのかみ),葛下,忍海(おしうみ∥おしみ),宇智(うち),吉野,宇陀(うだ),城上(しきのかみ),城下,高市(たけち),十市(とおち),山辺(やまのべ)の15郡に分かれていた。大和国を地形的にみると,奈良盆地(国中),大和高原(東山中),宇陀,吉野の4地域に分かれる。奈良盆地には13郡が設置され,添上郡と山辺郡の東半部が大和高原に及んでいた。…

【艦砲】より

…日清・日露の海戦で初めてこの艦砲の威力が実証され,イギリスは12インチ砲を主砲とする新鋭戦艦ドレッドノートを建造し大艦巨砲時代の幕を開いた。ロンドン軍縮会議で艦砲は口径14インチ以下と定められたが,期限切れ後に日本は世界最大の46cm砲を装備した戦艦大和,武蔵を建造した。この砲の最大射距離は46kmで弾丸1発の重量は1.5tであった。…

※「大和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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