日本歴史地名大系 「赤坂表伝馬町二丁目」の解説 赤坂表伝馬町二丁目あかさかおもててんまちようにちようめ 東京都:港区旧赤坂区地区赤坂表伝馬町二丁目[現在地名]港区元赤坂(もとあかさか)一丁目赤坂表伝馬町一丁目の南西に続く片側町。南東は道を隔てて赤坂一ッ木(あかさかひとつぎ)町と氷川(ひかわ)御旅所裏門・三河西大平藩大岡家下屋敷・鉄砲方井上邸、南西側は定火消役屋敷(米津小太夫)、北は赤坂裏伝馬町二丁目。文政町方書上によると、起立・沿革は一丁目に同じ。町内間数は東西が表・裏幅とも京間六九間余、南北は裏行が東方京間二一間・西方同二二間余、一千五一四坪。家数一四一、うち地主三・家主一一・地借二三・店借一〇四。自身番屋は定火消役屋敷下にあり、市定日は一丁目に同じ。定火消役屋敷と井上邸の間の坂は上り一五間余・幅三間余、牛車通行に難儀して牛鳴(うしなき)坂という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by