赤幡村(読み)あかはたむら

日本歴史地名大系 「赤幡村」の解説

赤幡村
あかはたむら

[現在地名]築城町赤幡

築城村の西に位置し、城井きい川中流域の右岸平地に立地する。「宇佐大鏡」所載の宇佐宮大宮司公順処分状案に「赤幡社」がみえる。同社はもと大宰府領であったが、保安二年(一一二一)三月源帥卿(重資)により宇佐宮千手陀羅尼転読料所として赤幡社領六町が宇佐宮に寄進された。しかしこの社領は桑田くわた庄に押取られる状況であったという。鎌倉時代の宇佐宮神領次第案(到津文書/大分県史料三〇)には「赤幡社七丁四反」とみえる。戦国時代には城井谷防衛の最前線として、宇都宮城井氏によって赤幡城(輪郭式山城)が築城される。元和八年人畜改帳では家数三九・人数六三(うち百姓一二・名子一三)、牛一一・馬七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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