城井(読み)きい

日本歴史地名大系 「城井」の解説

城井
きい

和名抄」の仲津なかつ郡城井郷の郷名を継承した地名。「宇佐大鏡」所載の宇佐宮大宮司公順処分状案に「城井 仲東郷城井浦四至」として東は「屋岡」、南は「高座」、西は「仲西郷高屋浦上道」(比定地は現高屋一帯)、北は「加女淵」(比定地は現内垣の亀淵)とあり、のちに仲東なかとう郷に含まれた地で、はらい川流域の現内垣うちがき犬丸いぬまる木井馬場きいばば横瀬よこせを含む一帯に比定される。前掲処分状案によれば城井の山は宇佐宮の杣山で、城井浦(浦は河谷平野や盆地状の耕作地を意味する)は豊前国追捕使日下部安恒の私領であったが、安恒が府使を殺害して逃亡すると、安恒の負物の代として康平七年(一〇六四)宇佐宮に点定された。しかし城井に対して安楽寺(太宰府天満宮)が権利を主張し、また日下部氏内紛などで紛糾したため、改めて天仁二年(一一〇九)に宇佐公順が公験文書を買得して、保安四年(一一二三)に宇佐宮に寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報