20世紀日本人名事典 「赤間与三次」の解説 赤間 与三次アカマ ヨソジ 大正・昭和期の医学放射線技術者 生年明治26(1893)年8月16日 没年昭和40(1965)年8月12日 出生地福岡県嘉麻郡岩崎村 学歴〔年〕福岡県立嘉穂中学4年修了 経歴明治45年福岡県飯塚町飯塚病院に勤め、外科医寺林寅次郎にX線について学び大正12年九州帝大医学部武谷内科レントゲン室で研修、昭和2年宮崎県立宮崎病院技手となった。17年赤間は国会議員田中耕の手を通し、第79議会に放射線医学技術資格制度制定を請願、上程、通過した。これが戦後、診療エックス線技師および診療放射線技師法公布の基になった。日本の放射線技師の先覚者で、19年放射線による職業性慢性障害を起こし退職した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤間与三次」の解説 赤間与三次 あかま-よさじ 1893-1965 大正-昭和時代の放射線技術者。明治26年8月16日生まれ。九州帝大レントゲン室で自費研修をうけ,昭和2年宮崎県立病院技手となる。17年にX線技術者の資格制度の制定を請願し実現させ,技術者の地位確立につくした。昭和40年8月12日死去。71歳。福岡県出身。福岡県立嘉穂中学修了。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例