辺木山村
ひようきやまむら
現嘉例川の南部、表木山を遺称地とする。弘安五年(一二八二)正月日の名主覚順処分帳(旧記雑録)に最勝寺新阿弥陀堂御領西加礼川下村のうち辺木山村とあり、覚順の娘伊王に譲られている。辺木山村の四至は、東は「大川白木山道ヨリ安楽道」、南は「畑坂」、北は「二ケ迫南山入口」、西は「畑坂道上立頭并辺木山西山彼多目上立二ケ迫入口」とあり、大川は天降川、安楽は現牧園町宿窪田安楽に比定される。年貢は佃米七斗七升五合・年貢雑物代銭一貫文・桑代絹一千疋などで、本名がこれらを取りまとめて京進した。宮寺年貢は修正餅・懸餅・毎月僧供六ヵ月内一ヵ月・国絹・四丈布・苧・凡供米・大念仏温木・放生会時鹿皮などがあり、ほかに所従四人が譲与された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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