隼人町(読み)はやとちよう

日本歴史地名大系 「隼人町」の解説

隼人町
はやとちよう

面積:六六・四九平方キロ

姶良郡中央部東に位置し、東は国分市、西は溝辺みぞべ町・加治木かじき町、北は牧園まきぞの町。南は鹿児島湾に面し、神造かみつくり島四島がある。町域の南・東部は国分平野に属する低地部、西部は十三塚原じゆうさんつかばる台地南端と山麓部、北部は霧島山系につながる山間部からなる。北東境を南東流する天降あもり川は東から中津なかつ川・霧島川、町域北部中央を南流する嘉例かれい川などを合せ東部を南流し鹿児島湾に入る。河口近くを国道一〇号、その南を隼人道路がほぼ東西に通り、国道北をJR日豊本線が西から北東へ走り、隼人駅でJR肥薩線が分岐して北上する。

考古遺跡は町内のほぼ全域に見られ、とくに海岸付近の平野部や台地の縁辺部に多くある。縄文時代では小浜の中尾おばまのなかお遺跡から後期の土器出土し、鹿児島神宮境内からは縄文時代前期の轟式土器が出土した貝塚が発見されている。小田おだ小田遺跡では弥生時代の住居跡が検出され、そのなかには宮崎県の沿岸部に多く見られる、いわゆる間仕切住居(花弁型住居)跡も含まれる。西光寺さいこうじ東免ひがしめん遺跡は縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡で、弥生時代後半と考えられる製の内行花文鏡の出土が注目される。西光寺の西免遺跡・入道にゆうどう遺跡では古墳時代の土器が出土した。内山田うちやまだ地区にははちヶノつぼつぼ小田地区にはろくつぼの小字名があり、条里制の痕跡が存在している。小田の弓削丘ゆげがおか遺跡からは平安時代初期の須恵器の蔵骨器が出土し、火葬の風習が伝わっていたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報