辺護原村(読み)へごのはらむら

日本歴史地名大系 「辺護原村」の解説

辺護原村
へごのはらむら

[現在地名]平戸市へご原町はらちよう

紐差ひもさし村の北にあり、北西安満やすまん岳、北東上床うわとこ高原があり、安満川が流れる。江戸時代は下方しもがた村のうちで、元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳に下方村新田枝村として辺護原村とあり、高八〇石余、ヘゴノハラの訓を付す。宝永三年(一七〇六)小値賀おぢか(現小値賀町)の小田伝兵衛重利は捕鯨で得た富を投じて「紐指村ヘゴノ原新田」の開発を出願、年内に着手して同五年三軒屋さんげんや堤の普請で新田一三町の作付がなされ、正徳三年(一七一三)竿入があった(重利一世年代記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む