日本歴史地名大系 「辺護原村」の解説 辺護原村へごのはらむら 長崎県:平戸市辺護原村[現在地名]平戸市朶(へご)ノ原町(はらちよう)紐差(ひもさし)村の北にあり、北西に安満(やすまん)岳、北東に上床(うわとこ)高原があり、安満川が流れる。江戸時代は下方(しもがた)村のうちで、元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳に下方村新田枝村として辺護原村とあり、高八〇石余、ヘゴノハラの訓を付す。宝永三年(一七〇六)小値賀(おぢか)島(現小値賀町)の小田伝兵衛重利は捕鯨で得た富を投じて「紐指村ヘゴノ原新田」の開発を出願、年内に着手して同五年三軒屋(さんげんや)堤の普請で新田一三町の作付がなされ、正徳三年(一七一三)竿入があった(重利一世年代記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by