日本歴史地名大系 「平戸市」の解説 平戸市ひらどし 面積:一六八・六九平方キロ県の北部に位置する。北松浦(きたまつうら)半島の西方海上にある平戸島、その北の度(たく)島、南東の上枯木(かみかれき)島・下枯木島、南西の上阿値賀(かみあぢか)島・下阿値賀島・高(たか)島などの諸島からなる。平戸島は北東側に平戸瀬戸があるが、平戸大橋(昭和五二年開通)によって北松浦郡田平(たびら)町と結ばれ、北西方には辰(たつ)ノ瀬戸を挟んで生月(いきつき)島(北松浦郡生月町)がある。度島方の北には的山大(あずちおお)島(北松浦郡大島村)があり、南西方には五島列島が連なる。北方は壱岐水道に通じ、南西方には五島灘より東シナ海が続いている。海岸部は薄香(うすか)湾・古江(ふるえ)湾・川内(かわち)湾・木(き)ヶ津(つ)湾・志々伎(しじき)湾などの入江のほか、志々伎崎・南竜(なんりゆう)崎・白石(しらいし)鼻(呼崎とも)・千里(せんり)ヶ浜などや島々によって豊かな景観をみせており、西海(さいかい)国立公園のうち。平戸島のおもな山嶺は北部から小富士(こふじ)山(二一六・九メートル)・垣(かき)ノ岳(三二八メートル)・安満(やすまん)岳(五一四・三メートル)・鷺(おし)ノ岳(二〇七メートル)・有僧都(ゆうそうづ)岳(三五〇・七メートル)・慈眼(じげん)岳(三七一・九メートル)・白岩(しらいわ)岳(二七二・九メートル)・佐志(さし)岳(三四七メートル)・屏風(びようぶ)岳(三九四・四メートル)・志々伎山 (三四七・二メートル)などがみられる。うち屏風岳は米(こめ)ノ山・岳(たけ)ノ山とも称される。河川には同じく北部から戸石(といし)川・神曾根(こうぞね)川・中野(なかの)川・木ヶ津川・中津良(なかつら)川・敷佐(しきさ)川などがあるが、大きな流域を形成する河川はない。中野川の上流域に上床(うわとこ)高原が広がる。南北に国道三八三号が通るほか、主要地方道の平戸―田平線・獅子(しし)―津吉(つよし)線や県道の田浦(たのうら)―平戸港線などがある。〔原始・古代〕平戸島の北端の大久保(おおくぼ)地区では白岳(しらたけ)遺跡・東千本松(ひがしせんぼんまつ)遺跡・木山の上(きやまのかみ)遺跡・原(はら)遺跡・蜂(はち)ノ久保(くぼ)遺跡、南部の西海岸では堤西牟田(つつみにしむた)遺跡など旧石器時代の遺跡が発見されている。縄文時代から弥生時代にわたる遺跡が多く、平戸島南端部の志々伎地区に岡(おか)遺跡・大浜(おおはま)遺跡・志々伎小浜(しじきおばま)遺跡・大志々伎(おおしじき)A遺跡・志々伎小田(しじきおだ)遺跡・肥(こえ)遺跡・赤崎(あかさき)遺跡・船越(ふなこし)遺跡・飯田(いいだ)遺跡・宮(みや)ノ浦(うら)遺跡など、その北の津吉地区に若宮(わかみや)遺跡・神上(かみあげ)遺跡・津吉遺跡・田崎(たざき)遺跡・西中山(にしなかやま)遺跡など、島の中央部の紐差(ひもさし)地区に沖(おき)ノ島(しま)遺跡・前田(まえだ)遺跡・火除(ひよけ)遺跡・下里(しもざと)遺跡・紐差遺跡・馬込(まごめ)遺跡などが分布。紐差地区の西の獅子地区では神(かみ)ノ池(いけ)遺跡・宮田(みやた)遺跡・獅子遺跡などがあり、弥生式甕のほか箱式石棺が検出された。度島では浦小川(うらこがわ)で弥生時代の墳墓が発見されたほか、飯盛(いいもり)に古墳時代の墳墓が五基あり、勾玉・磨製石剣・須恵器などが出土。 平戸市ひらどし 2005年10月1日:平戸市と北松浦郡田平町・大島村・生月町が合併⇒【田平町】長崎県:北松浦郡⇒【大島村】長崎県:北松浦郡⇒【生月町】長崎県:北松浦郡⇒【平戸市】長崎県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平戸市」の意味・わかりやすい解説 平戸〔市〕ひらど 長崎県北西部,平戸島,生月島,的山大島,度島(たくしま),北松浦半島北西岸にまたがる市。1955年平戸町と中野村,獅子村,紐差村(ひもさしむら),中津良村(なかつらむら),津吉村(つよしむら),志々伎村(しじきむら)の 6村が合体して市制。2005年生月町,田平町,大島村と合体。平戸島北東岸の中心市街地は江戸時代に平戸藩の松浦氏の城下町として発達,平戸港は天文19(1550)年のポルトガル船来航以来,約 90年間,ポルトガル,オランダ,イギリスなどとの貿易港として栄えた。港付近には国指定史跡の平戸和蘭商館跡(→オランダ商館)や常灯の鼻など貿易港時代の遺跡や,聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(平戸ザビエル記念教会。→ザビエル)などキリシタン関係の遺跡のほか,平戸城(亀岡城),亀岡神社,最教寺,光明寺など多くの古社寺がある。平戸島北西岸の谷間には隠れキリシタンの村で棚田の美しい春日集落と山岳信仰の対象である安満岳(やすまんだけ。534m)が,島の北部沖合いにはキリシタン殉教地の中江ノ島があり,いずれも 2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された。北松浦半島側から平戸瀬戸を望む田平天主堂は国指定重要文化財。基幹産業は漁業で,巻網漁業や一本釣り,延縄漁などが行なわれる。平戸瀬戸のトビウオ漁は有名。農村部では畜産が中心で,平戸牛を特産するほか,米,ミカンを栽培する。黒子島原始林,阿値賀島(あじかじま),平戸礫岩(ひらどつぶていわ)の岩石地植物群落はいずれも国の天然記念物。平戸のジャンガラ,平戸神楽は国の重要無形民俗文化財。平戸島の北部と南部は景勝地が多く,西部の海岸沿い一帯は西海国立公園に,北部の的山大島は北松県立自然公園に属する。1977年平戸大橋が,1991年生月大橋がそれぞれかけられ,九州本土と陸続きとなった。北松浦半島部に国道204号線が通じ,平戸島内を国道383号線が縦断する。平戸港から的山大島間と度島間に定期船が運航。面積 235.12km2。人口 2万9365(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by