近崎村
ちがさきむら
[現在地名]大府市北崎町
境川が東側を南流し、西と南は北尾村に接する。
「寛文覚書」によれば、概高四七七石三斗余、田方三一町四反余・畑方六町一反余、家数五一・人数二七一、東海道鳴海宿(現名古屋市)の寄付村で、上洛・朝鮮人来朝・茶壺道中の通行にも人馬役を負担した。「徇行記」では東浦街道が村内を通り、民家は北尾村の山寄りに多く、また「小百姓ハカリニテ漸々ニ境川堤決壊ノ難ニアヒ佃力衰耗セリ、多クハ他方ノ奴僮トナラ、高持百姓僅カニ六十二戸アリ」と村況を記し、皆瀬川沿いの水田は「水潦深溜リニナリ稲粱敗傷スル事アリ、此悪水ハ皆瀬川ヲ伏越水筒ニテ落シ」と悪水に悩まされた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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