敦賀湾東岸の浦方を、対岸の
敦賀港から北端の本比田浦まで海上四里、交通不便な地で、明治一一年(一八七八)頃でさえ、「滋賀県物産誌」は赤崎浦は「道路険悪ニシテ運搬ニ不便ナレトモ海路僅カニシテ敦賀港ニ達スルノ便アリ」、また江良浦は「水程僅カニ二里ニシテ敦賀港ニ達スルヲ得、海運ノ利ニ富メトモ陸路ハ断崕絶壁ノ地ニシテ殆ント往来ス可ラス」(同書)と記し、断層海岸の東浦一帯の特色であった。しかし奈良時代には北陸道が敦賀湾に沿って田結・五幡・杉津を経て
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県淡路(あわじ)島北東部、津名郡(つなぐん)にあった旧町名(東浦町(ちょう))。現在は淡路市の北東部を占める一地区。1961年(昭和36)淡路町の浦、仮屋(かりや)、釜口(かまぐち)の3地区が分立して東浦町が成立。町名は淡路島東浦に位置することによる。2005年(平成17)淡路、一宮(いちのみや)、津名、北淡(ほくだん)の4町と合併、市制施行して淡路市となる。国道28号が通じ、神戸淡路鳴門自動車道(こうべあわじなるとじどうしゃどう)の東浦インターチェンジがある。仮屋は漁業の中心地であり、釜口から浦にかけての一帯は淡路島の代表的花卉(かき)栽培地で、とくにカーネーション、スイートピー、キクなどは日本有数の生産を誇る。
[吉田茂樹]
『『東浦町史』(2000・東浦町)』
愛知県西部、知多郡(ちたぐん)にある町。JR武豊線(たけとよせん)、知多半島道路、国道366号が通じ、商圏は刈谷(かりや)市に属している。1948年(昭和23)町制施行。丘陵地は酪農、ブドウの産地で、近年は住宅化も著しい。低地は干拓新田地が多くかつては米作と知多木綿(もめん)の中心地で、現在は衣浦(きぬうら)湾に面して家具製品工場と自動車関連工場などが立地している。緒川(おがわ)城主水野家の菩提寺(ぼだいじ)乾坤院(けんこんいん)や、国指定史跡の入海(いりみ)貝塚(縄文時代)がある。面積31.14平方キロメートル、人口4万9596(2020)。
[伊藤郷平]
『『東浦町誌』(1968・東浦町)』▽『『新編東浦町誌』全7巻(1998~2004・東浦町)』
愛知県南部,知多郡の町。人口4万9800(2010)。知多半島北東部の最奥に位置する。東部の海岸線沿いに沖積低地が続き,中央部から西部一帯は丘陵地が広がる。平安時代から塩の特産地として知られた。米作主体の農業が行われてきたが,愛知用水の通水により,丘陵地で野菜や果樹が栽培されるようになった。イチゴ,ブドウ,フキを多産し,酪農の専業化も進んでいる。知多木綿の産地として知られ繊維工業が発達したが,近年家具,輸送用機器産業の生産高が伸びており,新たに造成された工業団地に多くの工場が進出している。東部にJR武豊(たけとよ)線,国道366号線,知多半島道路が通じる。入海(いりみ)神社境内に入海貝塚(史)がある。
執筆者:萩原 毅
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…三原平野には古墳が多く,国府,国分寺のおかれた律令時代は淡路の政治・文化の中心であった。気候的には全体として温暖少雨の瀬戸内式気候区に含まれ,黒潮の支流に洗われる南海岸や大阪湾に面する東浦地域は冬も暖かいが,播磨灘に面する西浦地域は北西季節風をまともに受けるために冬季の農業や漁業は大いに制約される。また不足がちの灌漑用水を補うための溜池が多く,1934年には島全体で2万3600余の溜池があった。…
※「東浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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