日本歴史地名大系 「大府市」の解説 大府市おおぶし 面積:三三・五八平方キロ愛知県のほぼ中央部、知多半島の根幹部に位置する。緩やかな丘陵が断続し、低地には小河川が流れて水田・工場地帯をなし、丘陵は畑・住宅地となっている。名古屋市に隣接しており、近年工場や住宅・団地の建設により急速な人口増加を来し、農村地帯から農工商の総合都市へと大きく変わってきている。〔原始・古代〕市の南部を東流する石(いし)ヶ瀬(せ)川下流近くの桟敷(さんじき)貝塚(大府町)は、崖の淵に約二〇〇平方メートルにわたって五〇センチほどの厚みで貝層が発見され、その中から縄文時代最末期で東海地方で水神平式といわれる土器が出土。大府駅の東方小高い墳丘の高山(たかやま)古墳は東南に延びる沖積平野を望む舌状台地末端にあり、六―七世紀の石室をもち、市内では唯一のものである。後に永禄元年(一五五八)織田信長が村木(むらき)砦(現知多郡東浦町)攻略の際ここで作戦を練ったと伝え、「尾張名所図会」には「知多の名所、三本松」として記す。その他境川の堤防の西、横根(よこね)町の水田より約一メートルほど高い畑地に約一千平方メートルにわたる惣作(そうさく)遺跡があり、古代製塩用具であった角形土器が土師器や須恵器・灰釉陶器とまじって出土する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大府市」の意味・わかりやすい解説 大府〔市〕おおぶ 愛知県西部,知多半島基部にある市。 1970年市制。大府はもと大夫と書き,伊勢・熱田両神宮のお札を配布したところと伝えられる。のち大庄屋鷹羽家が代官の役を受けて庄屋へ書類を配布したことから大符と改め,明治になり大府となった。丘陵部は第2次世界大戦後愛知用水が開通してから隣接する名古屋市へ生鮮野菜を供給する典型的な近郊園芸地域となり,さらに観光農業も行われる。大府,共和両駅周辺に紡織,機械,食品などの工場が集中し,宅地化も急速に進んでいる。 JR東海道本線の大府駅から武豊線を分岐する。面積 33.66km2。人口 9万3123(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報