日本歴史地名大系 「遠江国郷帳」の解説
遠江国郷帳(元禄郷帳)
とおとうみのくにごうちよう
一冊
成立 元禄一五年
写本 国立公文書館内閣文庫
解説 幕府が元禄一〇年に諸国主要大名に改訂を命じた国絵図に付属する郷帳。遠江国は浜松城主青山忠重・横須賀城主西尾忠成が作製を命じられた。この時の遠江国絵図は所在不明。各郡ごとの石高・村数は榛原郡四万六千五一七石余・一三八村、城東郡六万一千二九石余・一一五村、佐野郡二万六千七七〇石・九四村、山名郡三万七千五三二石余・一〇一村、周智郡二万三千一〇八石余・九一村、磐田郡一千四二石余・一町、豊田郡五万四六二石余・二五三村、長上郡二万五千七二一石余・一二三村、麁玉郡一千四〇〇石余・五村、敷知郡四万一千二一五石余・一二八村、浜名郡一千七九石余・二村、引佐郡一万二千七六九石余・四一村、遠江国全体では三二万八千六五一石余・一千九三町村に及ぶ。元禄郷帳には枝郷も記載されているため、正保郷帳より村数が増加している。
活字本 「静岡県史」資料編九付録、「内閣文庫所蔵史籍叢刊」
遠江国郷帳(天保郷帳)
とおとうみのくにごうちよう
一冊
成立 天保五年
原本 国立公文書館内閣文庫
解説 天保二年に諸国の大名・代官に郷帳の改訂が命じられ、各領主から提出された郷村高帳に基づき、幕府の勘定所において編集された郷帳。各郡ごとの村数・村高は榛原郡一四一村・五万一三石余、城東郡一〇八村・六万九千三六石余、佐野郡九四村・二万九千一五七石余、山名郡一〇八村・三万九千九三一石余、周知郡九四村・二万五千七四石余、磐田郡一村・一千四二石余、豊田郡二五九村・五万四千四五五石余、長上郡一二〇村・三万五一八石余、麁玉郡五村・二千四九一石余、敷知郡一二一村・四万九千六三石余、浜名郡二村・一千二六七石余、引佐郡四一村・一万七千四九九石余、惣計一千九四村・三六万九千五五二石余。
活字本 「静岡県史」資料編九付録、「内閣文庫所蔵史籍叢刊」
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報