朝日日本歴史人物事典 「酒月米人」の解説
酒月米人
江戸時代の狂歌作者。通称は榎本治兵衛。江戸本町に住んだ。のち霊岸島塩町に居を移し,榎本(扇屋とも)三右衛門と称した。別号は狂歌房,吾友軒。晩年,四方滝水,滝水楼と改めた。狂名は,酒盃では献酬が小面倒だというのに由来するか。天明3(1783)年ごろ,四方赤良(大田南畝)の門下となり,『蜀山人判取帳』には「さかづきも玉のとこよのきみなればいつまでくだを巻はしらかも」の狂詠がある。寛政(1789~1801)以後,四方側の有力判者になる。和文にも巧みで,南畝が寛政11(1799)年に始めた「和文の会」の一員となり,南畝編『ひともと草』(1806)に4編の短編が収録されている。その著書『観難誌』は,天明から寛政にかけての狂歌界を知るうえで貴重な資料である。
(園田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報