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大田南畝 おおたなんぽ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大田南畝
おおたなんぽ

[生]寛延2(1749).3.3. 江戸
[没]文政6(1823).4.6. 江戸
江戸時代後期の文人。本名,覃 (ふかし) 。通称,直次郎。号,蜀山人。狂歌名,四方赤良 (よものあから) 。戯作名,山手馬鹿人 (ばかひと) 。狂詩名,寝惚 (ねぼけ) 先生。幕臣,御徒役。内山賀邸 (椿軒) に国学と和歌を,松崎観海に漢詩文を学んだが,19歳で平賀源内に認められ,狂詩文『寝惚先生文集』 (1767) を刊行,以後狂詩文で名を得た。

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デジタル大辞泉の解説

おおた‐なんぽ〔おほた‐〕【大田南畝】

[1749~1823]江戸後期の狂歌師・戯作者。江戸の人。名は覃(たん)。別号は蜀山人(しょくさんじん)・四方赤良(よものあから)。有能な幕臣でもあり、広く交遊をもち、天明調狂歌の基礎を作った。編著「万載狂歌集」、咄本「鯛の味噌津」、随筆集「一話一言」など。

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百科事典マイペディアの解説

大田南畝【おおたなんぽ】

江戸中・後期の文人。本名覃,通称直次郎。狂歌名四方赤良(よものあから),蜀山人。狂詩号寝惚(ねぼけ)先生。戯号山手馬鹿人。幕臣。19歳で平賀源内に認められ,以後,狂歌,狂詩,狂文,黄表紙洒落(しゃれ)本,随筆,また正統的な詩文の各方面で文名をあげ,特に天明調を代表する狂歌作者として有名。
→関連項目石川雅望鶉衣烏亭焉馬唐衣橘洲骨董集御油鹿都部真顔蔦屋重三郎噺本平秩東作北州

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大田南畝 おおた-なんぽ

1749-1823 江戸時代中期-後期の狂歌師,戯作(げさく)者。
寛延2年3月3日生まれ。幕臣。松崎観海らにまなぶ。明和4年の「寝惚(ねぼけ)先生文集」でみとめられる。洒落本,黄表紙をおおくかき,「万載(まんざい)狂歌集」などで狂歌界の中心となる。寛政の改革後は一時,筆をおり支配勘定役などとして活躍した。文政6年4月6日死去。75歳。名は覃(ふかし)。字(あざな)は子耜。通称は直次郎。別号に蜀山人(しょくさんじん),四方赤良(よもの-あから)など。著作はほかに「変通軽井茶話」「一話一言」など。
【格言など】ほととぎす鳴きつるかたみ初鰹春と夏との入相(いりあひ)の鐘(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

大田南畝

没年:文政6.4.6(1823.5.16)
生年:寛延2.3.3(1749.4.19)
江戸時代中・後期の戯作者,文人。名を覃,字子耜,通称直次郎,七左衛門といった。四方赤良,山手馬鹿人,蜀山人,杏花園,寝惚先生など,多くの別号を使った。幕府の御徒吉左衛門正智と利世の長男,江戸牛込仲御徒町に誕生。宿債に苦しむ小身の悴南畝は,若年時から学問に立身の夢を賭け15歳で内山賀邸(椿軒),18歳ころに松崎観海に入門した。幕臣書生らしく和学と徂徠派漢学を修める一方,平秩東作をはじめ,のちの江戸戯作界の中核をなす面々と交わった。 明和3(1766)年,処女作の作詩用語集『明詩擢材』を編み,翌年,平賀源内の序を付して戯作第一弾の狂詩集『寝惚先生文集』を出版。生涯,徂徠派風の漢詩作成にいそしむ一方,狂詩の名手として20代から30代の大半を江戸戯作の華美な舞台のただなかに過ごし,やがて領袖と仰がれた。同門の 唐衣橘洲 らと共に江戸狂歌流行の端緒を開き,『万載狂歌集』(1783),『徳和歌後万載集』(1785)などを相次いで出版。天明期俗文芸の隆盛を築いた。洒落本,評判記,黄表紙などの戯作も多く綴ったが,天明7(1787)年,田沼政権の崩壊と松平定信による粛正政策の台頭を機に,狂歌界とは疎遠になり,幕吏本来の姿勢を俊敏に取り戻した。寛政6(1794)年,人材登用試験を見事な成績で合格,大坂銅座出役(1801),長崎奉行所出役(1804)などの勤務をこなし,かたわら江戸文人の代表格として名声をいやましに上げていった。最晩年に『杏園詩集』(1820)など,漢詩,狂歌文などが多く出版された。<著作>浜田義一郎他編『大田南畝全集』(全20巻)<参考文献>玉林晴朗『蜀山人の研究』,浜田義一郎『大田南畝』

(ロバート・キャンベル)

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江戸・東京人物辞典の解説

大田南畝

1749〜1823(寛延2年〜文政6年)【戯作者】幕臣で狂歌師、戯作者。 江戸文化転換期に軽妙な機知と笑いで、一世を風靡。江戸出身。御徒勤めの幕臣。平賀源内との交流で触発され、19歳で文壇に登場。山手馬鹿人などのペンネームで、多数の洒落本・黄表紙を執筆、天明期に『万載狂歌集』で一世を風靡。「恐れ入谷の鬼子神」など地名を読み込んだ歌は、現在も親しまれる。寛政の改革に抵触、文壇を去ると、56歳で湯島聖堂に入った。以後幕吏として大坂、長崎へも出役した。蜀山人、四方赤良など、多くの号がある。

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監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版の解説

おおたなんぽ【大田南畝】

1749‐1823(寛延2‐文政6)
江戸後期の文人。狂歌,狂詩,狂文,洒落本,黄表紙,滑稽本の作者。随筆家。本名覃,通称直次郎,七左衛門。号は蜀山人,寝惚(ねぼけ)先生,四方赤良(よものあから),巴人亭,杏花園,山手馬鹿人,風鈴山人その他。江戸牛込生れの幕臣。江戸市民文芸の水先案内人の役割を果たした最初は,戯れに作った狂詩が平賀源内の推賞するところとなって出版された《寝惚先生文集》(1767)である。19歳の知的武士の軽快な諧謔が歓迎されて一躍文名をあげた。

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大辞林 第三版の解説

おおたなんぽ【大田南畝】

1749~1823) 江戸中・後期の狂歌師・戯作者げさくしや。江戸の人。本名、覃たん。別号、蜀山人しよくさんじん・四方赤良よものあから・寝惚ねぼけ先生など。幕府の下級武士。唐衣橘州からごろもきつしゆう・朱楽菅江あけらかんこうとともに狂歌三大家といわれ、天明調の基礎を作った。学問にも通じた江戸の代表的文人。著「鯛の味噌津」「虚言八百万八伝」「一話一言」、編「万載狂歌集」「徳和歌後万載集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大田南畝
おおたなんぽ

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世界大百科事典内の大田南畝の言及

【一話一言】より

…江戸後期の随筆。大田南畝作。1775‐1822年(安永4‐文政5)に執筆。…

【浮世絵類考】より

…浮世絵研究の基礎的な文献として価値が高い。1790年(寛政2)ころ大田南畝が原撰し,1800年笹屋邦教が〈始系〉を付記,さらに02年(享和2)山東京伝が〈追考〉を加え,文政年間(1818‐30)式亭三馬が増補した。以上をもとに,33年(天保4)渓斎英泉が《無名翁随筆》(別名《続浮世絵類考》),44年(弘化1)斎藤月岑が《増補浮世絵類考》,68年(明治1)竜田舎秋錦が《新増補浮世絵類考》を,それぞれ書きついでいる。…

【狂詩】より

…しかし,それらはほとんど形式面では正規の漢詩の枠内にあるものであり,またその場限りの遊びとして作られ,出版して世に問うというほどの意欲のこめられたものではなかった。1767年(明和4)江戸の大田南畝が《寝惚(ねぼけ)先生文集》を刊行して,狂詩ははじめて手すさびの域を脱し,文学として確立された。この書は素材においても表現技法においてもそれまでの微温的な滑稽詩をはるかに超える徹底した滑稽味を発揮しており,のびやかな明るさをかもし出してすぐれた滑稽文学となっている。…

【甲駅新話】より

…1冊。風鈴山人(ふうれいさんじん)(大田南畝)作。勝川春章画。…

【コーヒー】より

…この書はその後幕命により馬場佐十郎,大槻玄沢らの蘭学者が日本語訳を行い,《厚生新編》と名づけられたが,その第28巻〈雑集〉の〈コッヒイ〉の項は1万語にも及ぶ。コーヒーそのものの伝来時期は不明であるが,長崎に来往したオランダ人が持ち込んでいたことは確かで,1804‐05年(文化1‐2)長崎勤務をしていた大田南畝は,オランダ船を訪れた際コーヒーをすすめられ,〈紅毛船にて`カウヒイ’といふものを勧む。豆を黒く炒(い)りて粉にし,白糖を和したるものなり。…

【竹橋余筆】より

…大田南畝編の江戸幕府勘定所記録の抄録集。南畝は1800年(寛政12)竹橋門内勘定所倉庫の諸帳面取調べの幕命をうけて整理に着手し,作業の暇に文書記録を抄出,同年中《竹橋蠹簡(とかん)》《竹橋余筆》,記録全文筆写の《竹橋余筆別集》が成った。…

【道中粋語録】より

…洒落(しやれ)本。山手馬鹿人(やまのてのばかひと)(大田南畝(なんぽ))作。勝川春章画。…

【寝惚先生文集】より

…2巻1冊。陳奮翰子角(大田南畝)著,風来山人(平賀源内)序,木子服序,物茂らい跋。1767年(明和4)江戸で刊行。…

【北州】より

…1818年(文政1)開曲。作詞大田南畝。作曲川口お直。…

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