大田南畝(読み)オオタナンポ

デジタル大辞泉 「大田南畝」の意味・読み・例文・類語

おおた‐なんぽ〔おほた‐〕【大田南畝】

[1749~1823]江戸後期の狂歌師戯作者。江戸の人。名はたん。別号は蜀山人しょくさんじん四方赤良よものあから。有能な幕臣でもあり、広く交遊をもち、天明調狂歌の基礎を作った。編著「万載狂歌集」、咄本「鯛の味噌津」、随筆集「一話一言」など。

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精選版 日本国語大辞典 「大田南畝」の意味・読み・例文・類語

おおた‐なんぽ【大田南畝】

  1. 江戸後期の狂歌師。洒落本滑稽本作者。本名、覃(たん)。別号、蜀山人(しょくさんじん)四方赤良(よものあから)、寝惚(ねぼけ)先生など。江戸幕府に仕える下級武士。唐衣橘州(からごろもきっしゅう)朱楽菅江(あけらかんこう)とともに狂歌三大家といわれ、天明調の基礎を作った。ほかに狂詩、洒落本、黄表紙、咄本(はなしぼん)なども著わす。著に「万載狂歌集」「徳和歌後万載集」「鯛の味噌津」「虚言八百万八伝」「一話一言」など。寛延二~文政六年(一七四九‐一八二三

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改訂新版 世界大百科事典 「大田南畝」の意味・わかりやすい解説

大田南畝 (おおたなんぽ)
生没年:1749-1823(寛延2-文政6)

江戸後期の文人。狂歌,狂詩,狂文,洒落本,黄表紙,滑稽本の作者。随筆家。本名覃,通称直次郎,七左衛門。号は蜀山人,寝惚(ねぼけ)先生,四方赤良(よものあから),巴人亭,杏花園,山手馬鹿人,風鈴山人その他。江戸牛込生れの幕臣。江戸市民文芸の水先案内人の役割を果たした最初は,戯れに作った狂詩が平賀源内の推賞するところとなって出版された《寝惚先生文集》(1767)である。19歳の知的武士の軽快な諧謔が歓迎されて一躍文名をあげた。その2年後,同門の友唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)に誘われて狂歌を始め,四方赤良と号したが,これが機知と笑いを求める風潮に合ってしだいに普及した。また1775年(安永4)に《甲駅新話》を書いてからは洒落本作者として活躍し,《変通軽井茶話(へんつうかるいざわ)》ほか数編の佳作をのこすという幅ひろい文学活動によって,安永末年(1780)には文芸界の中心的な存在になっていた。そして81年(天明1)《菊寿草》,翌年岡目八目》で新興の黄表紙の作品批評を試み,さらに《此奴和日本(こいつはにつぽん)》など実作も数種を数えるが,この面では成功を収めなかった。一方狂歌は,83年赤良編《万載狂歌集》と橘洲編《狂歌若葉集》が競争的に出版されたのが刺激となって熱狂的な流行が始まった。そして機知と滑稽を特色とする赤良が,温和で地味な橘洲を圧倒して,狂歌においても赤良の四方連が主流となり,あたかも江戸文芸全般の盟主のごとき観を呈した。しかし田沼政権が崩壊して87年松平定信の文武奨励政治が始まり,南畝は文芸界と絶縁した。〈世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといふて夜もねられず〉など時世風刺の落首の作者と疑われたのを恥じて,文筆を完全に捨て,7年後には人材登用試験に首席で合格し,幕吏として出発することになった。幕府発行の《孝義録編纂,勘定所文書の整理などに当たった後,1801年(享和1)大坂銅座に出役すると,かつての名声を知る人たちから狂歌を望まれることが多く,やむなく蜀山(銅の異名)の仮号で狂歌を詠んだが,寛政改革の緊張も緩和されたので,以後狂歌を再開した。ただし次代の鹿津部真顔,宿屋飯盛らの狂歌界と関係なく,また門人もないが,世人の人気は蜀山人の狂歌に集まり,おのずから作も多くなり,文化末年(1817)ころから《千紅万紫》《万紫千紅》《四方の留粕》などの狂歌狂文集,自筆の《蜀山百首》として出版された。

 晩年はむしろ江戸の代表的な知識人として高く評価され,江戸の文人墨客の番付には判定の立行司に据えられたし,青年時からの詩は《杏園詩集》として出版された。また好奇心旺盛に筆まめに書きとめた《一話一言》《俗耳鼓吹》などは生前すでに愛読者があって筆写され,《仮名世説》《南畝莠言》などは門人文宝亭編で出版されている。風俗,考証,見聞録など多岐にわたって江戸随筆の型を作り,山東京伝,曲亭馬琴,柳亭種彦をはじめ多くの追随者を出した。江戸に生まれ育ち,学殖を積み多方面の業績をのこし,古希を過ぎるまで勘定所役人として勤務した南畝は,文芸界のみならず歌舞伎,浮世絵そのほか江戸文化全体に大きな影響をのこし,またその調和的性格は諸侯から町人に至る各階層から,代表的江戸人として親しまれた。周知の狂歌2首をひく。〈生酔の礼者を見れば大道を横すぢかひに春は来にけり〉〈ほととぎすなきつるあとにあきれたる後徳大寺の有明の顔〉(《蜀山百首》)。
天明狂歌
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百科事典マイペディア 「大田南畝」の意味・わかりやすい解説

大田南畝【おおたなんぽ】

江戸中・後期の文人。本名覃,通称直次郎。狂歌名四方赤良(よものあから),蜀山人。狂詩号寝惚(ねぼけ)先生。戯号山手馬鹿人。幕臣。19歳で平賀源内に認められ,以後,狂歌,狂詩,狂文,黄表紙洒落(しゃれ)本,随筆,また正統的な詩文の各方面で文名をあげ,特に天明調を代表する狂歌作者として有名。江戸の文芸界の盟主のような活躍ぶりであったが,松平定信の時代には狂歌界などから離れ,晩年は江戸の代表的な知識人として認知され,随筆・考証に業績を残した。狂詩文に《寝惚先生文集》,狂歌文に《四方のあか》《蜀山百首》《狂歌百人一首》や朱楽菅江と共編の《万載狂歌集》,黄表紙評判記に《菊寿草》《岡目八目》,随筆に《一話一言》《俗耳鼓吹》《奴師労之(やっこだこ)》,洒落本に《甲駅新話》《粋町甲閨》などがある。
→関連項目石川雅望鶉衣烏亭焉馬唐衣橘洲骨董集御油鹿都部真顔蔦屋重三郎噺本平秩東作北州

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朝日日本歴史人物事典 「大田南畝」の解説

大田南畝

没年:文政6.4.6(1823.5.16)
生年:寛延2.3.3(1749.4.19)
江戸時代中・後期の戯作者,文人。名を覃,字子耜,通称直次郎,七左衛門といった。四方赤良,山手馬鹿人,蜀山人,杏花園,寝惚先生など,多くの別号を使った。幕府の御徒吉左衛門正智と利世の長男,江戸牛込仲御徒町に誕生。宿債に苦しむ小身の悴南畝は,若年時から学問に立身の夢を賭け15歳で内山賀邸(椿軒),18歳ころに松崎観海に入門した。幕臣書生らしく和学と徂徠派漢学を修める一方,平秩東作をはじめ,のちの江戸戯作界の中核をなす面々と交わった。 明和3(1766)年,処女作の作詩用語集『明詩擢材』を編み,翌年,平賀源内の序を付して戯作第一弾の狂詩集『寝惚先生文集』を出版。生涯,徂徠派風の漢詩作成にいそしむ一方,狂詩の名手として20代から30代の大半を江戸戯作の華美な舞台のただなかに過ごし,やがて領袖と仰がれた。同門の 唐衣橘洲 らと共に江戸狂歌流行の端緒を開き,『万載狂歌集』(1783),『徳和歌後万載集』(1785)などを相次いで出版。天明期俗文芸の隆盛を築いた。洒落本,評判記,黄表紙などの戯作も多く綴ったが,天明7(1787)年,田沼政権の崩壊と松平定信による粛正政策の台頭を機に,狂歌界とは疎遠になり,幕吏本来の姿勢を俊敏に取り戻した。寛政6(1794)年,人材登用試験を見事な成績で合格,大坂銅座出役(1801),長崎奉行所出役(1804)などの勤務をこなし,かたわら江戸文人の代表格として名声をいやましに上げていった。最晩年に『杏園詩集』(1820)など,漢詩,狂歌文などが多く出版された。<著作>浜田義一郎他編『大田南畝全集』(全20巻)<参考文献>玉林晴朗『蜀山人の研究』,浜田義一郎『大田南畝』

(ロバート・キャンベル)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大田南畝」の意味・わかりやすい解説

大田南畝
おおたなんぽ

[生]寛延2(1749).3.3. 江戸
[没]文政6(1823).4.6. 江戸
江戸時代後期の文人。本名,覃 (ふかし) 。通称,直次郎。号,蜀山人。狂歌名,四方赤良 (よものあから) 。戯作名,山手馬鹿人 (ばかひと) 。狂詩名,寝惚 (ねぼけ) 先生。幕臣,御徒役。内山賀邸 (椿軒) に国学と和歌を,松崎観海に漢詩文を学んだが,19歳で平賀源内に認められ,狂詩文『寝惚先生文集』 (1767) を刊行,以後狂詩文で名を得た。一方,唐衣 (からごろも) 橘洲の狂歌会に加わって頭角を現し山手連を形成。狂歌会の第一人者となり,『万載狂歌集』『徳和歌後万載集』を編み,当時の狂歌の一大集成をなした。そのほか洒落本,黄表紙にも筆を染め,天明文学界のリーダー格となった。寛政改革によりいったん幕吏の仕事に専念,文壇から退いたが,その後復帰,再び戯文戯作界に重きをなした。洒落本『甲駅新話』 (1775) ,『変通軽井茶話』 (80頃) ,黄表紙評判記『菊寿草』 (81) ,『岡目八目』 (82) ,狂歌狂文集『四方のあか』 (87) ,『千紅万紫』 (1817) ,『万紫千紅』 (18) ,『蜀山百首』 (18) ,随筆『一話一言』『仮名世説』 (25) などのほか,咄本,紀行,漢詩集など著書多数。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大田南畝」の解説

大田南畝
おおたなんぽ

1749.3.3~1823.4.6

江戸中期の戯作者。名は覃(たん)。通称直次郎。別号は蜀山人(しょくさんじん)・四方赤良(よものあから)など。江戸生れ。家は御徒を勤める幕臣。平賀源内との出会いを契機に,19歳で狂詩集「寝惚(ねぼけ)先生文集」を出版。以後,狂歌・洒落本(「甲駅新話(こうえきしんわ)」など)・黄表紙と活動の範囲を広げた。また「菊寿草」「岡目八目」は黄表紙の評判記として影響力をもった。唐衣橘洲(からころもきっしゅう)編「狂歌若葉集」に対抗して,「万載狂歌集」を発表。軽妙な笑いと機知は広く歓迎され,天明期を制するが,寛政の改革に抵触し筆を断つ。以後,役人の仕事に専心して大坂や長崎に出役するが,文名は衰えず,最晩年まで著作が出版された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大田南畝」の解説

大田南畝 おおた-なんぽ

1749-1823 江戸時代中期-後期の狂歌師,戯作(げさく)者。
寛延2年3月3日生まれ。幕臣。松崎観海らにまなぶ。明和4年の「寝惚(ねぼけ)先生文集」でみとめられる。洒落本,黄表紙をおおくかき,「万載(まんざい)狂歌集」などで狂歌界の中心となる。寛政の改革後は一時,筆をおり支配勘定役などとして活躍した。文政6年4月6日死去。75歳。名は覃(ふかし)。字(あざな)は子耜。通称は直次郎。別号に蜀山人(しょくさんじん),四方赤良(よもの-あから)など。著作はほかに「変通軽井茶話」「一話一言」など。
【格言など】ほととぎす鳴きつるかたみ初鰹春と夏との入相(いりあひ)の鐘(辞世)

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旺文社日本史事典 三訂版 「大田南畝」の解説

大田南畝
おおたなんぽ

1749〜1823
江戸後期の狂歌・洒落本・滑稽本作者
名は覃 (たん) 。別号は四方赤良 (よものあから) ・蜀山人・寝惚 (ねぼけ) 先生など。幕臣。和漢の学に通じ,狂歌・狂詩・狂文・黄表紙・随筆など多方面に活躍。文壇の指導的地位にあって,天明調狂歌の中心となった。著書に『蜀山百首』『万載狂歌集』『寝惚先生文集』など。

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367日誕生日大事典 「大田南畝」の解説

大田南畝 (おおたなんぽ)

生年月日:1749年3月3日
江戸時代中期;後期の戯作者;狂歌師
1823年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大田南畝」の意味・わかりやすい解説

大田南畝
おおたなんぽ

蜀山人

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世界大百科事典(旧版)内の大田南畝の言及

【一話一言】より

…江戸後期の随筆。大田南畝作。1775‐1822年(安永4‐文政5)に執筆。…

【浮世絵類考】より

…浮世絵研究の基礎的な文献として価値が高い。1790年(寛政2)ころ大田南畝が原撰し,1800年笹屋邦教が〈始系〉を付記,さらに02年(享和2)山東京伝が〈追考〉を加え,文政年間(1818‐30)式亭三馬が増補した。以上をもとに,33年(天保4)渓斎英泉が《無名翁随筆》(別名《続浮世絵類考》),44年(弘化1)斎藤月岑が《増補浮世絵類考》,68年(明治1)竜田舎秋錦が《新増補浮世絵類考》を,それぞれ書きついでいる。…

【狂詩】より

…しかし,それらはほとんど形式面では正規の漢詩の枠内にあるものであり,またその場限りの遊びとして作られ,出版して世に問うというほどの意欲のこめられたものではなかった。1767年(明和4)江戸の大田南畝が《寝惚(ねぼけ)先生文集》を刊行して,狂詩ははじめて手すさびの域を脱し,文学として確立された。この書は素材においても表現技法においてもそれまでの微温的な滑稽詩をはるかに超える徹底した滑稽味を発揮しており,のびやかな明るさをかもし出してすぐれた滑稽文学となっている。…

【甲駅新話】より

…1冊。風鈴山人(ふうれいさんじん)(大田南畝)作。勝川春章画。…

【コーヒー】より

…この書はその後幕命により馬場佐十郎,大槻玄沢らの蘭学者が日本語訳を行い,《厚生新編》と名づけられたが,その第28巻〈雑集〉の〈コッヒイ〉の項は1万語にも及ぶ。コーヒーそのものの伝来時期は不明であるが,長崎に来往したオランダ人が持ち込んでいたことは確かで,1804‐05年(文化1‐2)長崎勤務をしていた大田南畝は,オランダ船を訪れた際コーヒーをすすめられ,〈紅毛船にて`カウヒイ’といふものを勧む。豆を黒く炒(い)りて粉にし,白糖を和したるものなり。…

【竹橋余筆】より

…大田南畝編の江戸幕府勘定所記録の抄録集。南畝は1800年(寛政12)竹橋門内勘定所倉庫の諸帳面取調べの幕命をうけて整理に着手し,作業の暇に文書記録を抄出,同年中《竹橋蠹簡(とかん)》《竹橋余筆》,記録全文筆写の《竹橋余筆別集》が成った。…

【道中粋語録】より

…洒落(しやれ)本。山手馬鹿人(やまのてのばかひと)(大田南畝(なんぽ))作。勝川春章画。…

【寝惚先生文集】より

…2巻1冊。陳奮翰子角(大田南畝)著,風来山人(平賀源内)序,木子服序,物茂らい跋。1767年(明和4)江戸で刊行。…

【北州】より

…1818年(文政1)開曲。作詞大田南畝。作曲川口お直。…

※「大田南畝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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