日本歴史地名大系 「野々垣村」の解説 野々垣村ののがきむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区野々垣村[現在地名]篠山市野々垣八上上(やかみかみ)村の南東に位置する。承徳二年(一〇九八)一〇月一五日の波々伯部村立券文案(八坂神社文書)に草南条波々伯部(くさのなんじようほほかべ)村のうちに「乃々垣里」とみえ、一坪二反・一八坪二反が京都祇園社感神(かんじん)院に加徴米代として大別当の行円に寄進されている。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「野々垣村」とみえ、高三九六石余。正保郷帳では田高三七六石余・畠高二〇石。「丹波志」では曾路(そうじ)庄のうちで、高三三九石余。明和八年(一七七一)の篠山全藩一揆では百姓の作兵衛が三〇日手鎖などに処されている(安永三年「多紀郡中強訴一件仕置相伺候書付案」小林家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by