野上野庄
のじようののしよう
近世、慶長検地高目録によると東坂本・新田広芝・水栖、および今畑(現打田町)の四村、「続風土記」によるとこれに加えて同高目録では弘田庄に含まれていた野上野・山田・南大池・北大池の諸村を加えた地域を野上野庄と称した。中世の史料にはこの荘名はみえない。「続風土記」は「野上野は一村の名にて直に村名を以て荘名とす、野上野名義詳ならす、意ふに野かみなるへし、地形を以ていふに葛城山の麓にて南の広野の上にあれは直にこれを村名とするならむ、然れとも同郡の内に野上の荘あるを以てこれに分ちて音に唱へてノジヤウと呼ひ来りしならむ」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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