日本歴史地名大系 「野久喜村」の解説 野久喜村のぐきむら 埼玉県:久喜市野久喜村[現在地名]久喜市東(ひがし)一―二丁目・同五丁目・中央(ちゆうおう)一丁目・北(きた)一―二丁目・野久喜古久喜(こぐき)村の東にあり、同村と複雑に入組んでいる。南は久喜新(くきしん)町・久喜本(くきほん)町と中落堀(なかおとしぼり)川を境に対し、北は天王新堀(てんのうしんぼり)川を境に上内(うえうち)・鷲(わし)ノ宮(みや)・西大輪(にしおおわ)(現鷲宮町)の諸村。郷帳類では久喜郷(村・町)で一括されるが、貞享元年(一六八四)の久喜鷹場村数覚(伊達家文書)に村名がみえ、一村として扱われていたと考えられる。明和七年(一七七〇)の高は四八五石余(「騎西領用悪水圦樋等仕来覚書」押田家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by