野陣屋跡(読み)かずらのじんやあと

日本歴史地名大系 「野陣屋跡」の解説

野陣屋跡
かずらのじんやあと

[現在地名]朝日町下糸生

下糸生しもいとう北東にあった枝村葛野の北部にある。元禄一〇年(一六九七)三月、和歌山藩主徳川光貞の三男頼方が越前に三万石を領知。その封地は丹生郡下糸生以下一三ヵ村、坂井郡針原はりばら(現春江町)以下三二ヵ村に及び、宝永二年(一七〇五)六月にはやはり越前に三万石を領し、高森たかもり(現武生市)に陣屋を置いた兄頼職の所領のうち一万石を兼領したが、同年九月、頼職の死亡によって頼方は宗家を嗣ぎ、次いで享保元年(一七一六)八代将軍吉宗となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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