熊本県北東部、阿蘇郡(あそぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)草部(くさかべ)、色見(しきみ)の2村を合併。1957年に野尻村を編入。町名は、当地方の伝承「高貴なる阿蘇大神が一時、宮居を定めた森」に由来する。阿蘇火山地の東部を占め、外輪山・高原地からなる東半域と、中央火口丘群・阿蘇カルデラ盆地からなる西半域とに分かれる。東半域への高冷地蔬菜(そさい)園芸(キャベツ、ハクサイ、ダイコン)、西半域へのハウス園芸(ピーマン、メロン、トマト)の導入は、在来農業(東半域の和牛飼育、西半域の稲作)に変質を与えつつある。同様に地域に変貌(へんぼう)をもたらそうとしているものに、阿蘇くじゅう国立公園、祖母傾国定公園(そぼかたむきこくていこうえん)ほか恵まれた自然景観、幾多の興亡の歴史にちなむ名所旧跡、豊かな伝承芸能などを生かした観光産業がある。町域の西端、南北方向に走る国道265号と東西方向の同325号との交わる位置にある高森地区は、阿蘇カルデラ盆地の南半を占める南郷谷の中心地で、第三セクター経営による南阿蘇鉄道(旧、国鉄高森線)の終着地でもある。面積175.06平方キロメートル、人口5789(2020)。
[山口守人]
長野県南部、下伊那郡(しもいなぐん)の町。1957年(昭和32)市田(いちだ)、山吹(やまぶき)の2村が合併して成立。町域は天竜川右岸の扇状地、河岸段丘から、西部の中央アルプス(木曽(きそ)山脈)の山麓(さんろく)に及ぶ。段丘上は昭和初年まで一面のクワ畑であったが、現在はリンゴ、カキ、ナシ栽培や乳牛飼育が行われる。扇状地には水田が多い。天竜川に沿ってJR飯田(いいだ)線、国道153号が走り、山麓を旧三州街道、中央自動車道が走る。中心地区の市田は三州街道の宿で、干し柿(がき)の市田柿を特産する。10月中旬から一家総出で柿の皮をむき干し柿づくりが行われる。飯田市に接し最近は飯田市の住宅地化が進み、工場も進出している。面積45.36平方キロメートル、人口1万2811(2020)。
[小林寛義]
『『高森町史』(1972・高森町)』
山口県東部、岩国市周東(しゅうとう)町地域の中心地区。旧高森町。玖珂盆地西部の商業、交通の中心で、国道2号が通じ、岩徳(がんとく)線周防(すおう)高森駅、岩国市周東総合支所が置かれる。中世は椙杜庄(すぎのもりしょう)といい、近世には山陽道の宿駅として栄えた。高森天神祭が有名。
[編集部]
長野県南部,下伊那郡の町。人口1万3216(2010)。伊那盆地南部に位置する。東端を南流する天竜川の西岸には河岸段丘が発達し,梨,リンゴなどの果樹栽培や米作に利用されている。中心集落の上市田は近世に伊那往還の宿駅で,幕末の奥州白河藩の飛領地時代には市田陣屋が置かれた。天台宗の瑠璃寺や臨済宗の安養寺などの古刹(こさつ)があり,江戸中期の本棟造の典型として重要文化財に指定された竹の内家住宅もある。また弥生中期の北原遺跡,後期の月夜平遺跡など遺跡も多い。JR飯田線,国道153号線が通り,天竜川舟下りの基点市田港もある。
執筆者:萩原 毅
熊本県東部,阿蘇郡の町。人口6716(2010)。北東は大分県,南東は宮崎県に接する。北西部には阿蘇五岳,南西部に阿蘇外輪山,東部には九州山地に属する山々があり,山林原野が広い。西端部には南郷谷の平たん地が開け,中心集落で南阿蘇鉄道の終点である高森がある。中世阿蘇氏の一族高森氏の居城があったところで,江戸時代は肥後と日向を結ぶ街道(現,国道325号線)の要衝として栄えた。和牛生産,タバコ・高冷地野菜の栽培が行われる。南阿蘇観光の基地であり,南阿蘇国民休暇村がある。南郷谷の区域は阿蘇くじゅう国立公園に含まれる。南阿蘇鉄道線が通じる。
執筆者:松橋 公治
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