朝日町(読み)あさひまち

日本歴史地名大系 「朝日町」の解説

朝日町
あさひまち

面積:二二七・四一平方キロ

富山県の最東端に位置し、東はさかい川から白鳥しらとり山・いぬヶ岳などの稜線を境に新潟県西頸城にしくびき青海おうみ町や同県糸魚川いといがわ市と接し、北は日本海に面し、西は入善にゆうぜん町に接する。南は宇奈月うなづき町と接しているが、その境界は昭和五六年(一九八一)ようやく確定した。町内を境川・ささ川・川が流れているが、小川の灌漑面積が七一二・一五ヘクタールであるほかは、いずれも灌漑面積は五〇ヘクタール以下である。大部分が山地で、水田は一八〇〇ヘクタールを割っている。古来交通の要衝で、古代の佐味さみ駅、近世の境関所・宿場町とまりなどが存在していた。海岸沿いにJR北陸本線・国道八号が走り、泊と越中宮崎えつちゆうみやざきの二駅がある。泊駅は急行停車駅であり、ここを始発とするローカル列車もかなりある。

不動堂ふどうどう遺跡は昭和四八年から同五四年にかけて調査が行われ、縄文時代中期の大集落が発掘された。第二号住居と命名された大型住居跡は長軸で一七メートルを測る小判形をし、四基の石組炉が設けられていた。新潟県境に延びる宮崎海岸では現在でも翡翠を採集することができ、付近の段丘上にある縄文時代の境遺跡や古墳時代の浜山玉はまやまたまつくり遺跡では翡翠の玉製品や加工用具が大量に発掘されている。律令制下では新川郡佐味郷に属したとみられ、「和名抄」東急本では「佐味」の訓を「左比」とする。佐味郷は同郡内の最東部にあたり、黒部川扇状地のかなり広い地域にあたると推定される。

朝日町
あさひまち

面積:一九六・九一平方キロ

西村山郡の南西部に位置し、北は大江おおえ町、東は東村山郡山辺やまのべ町、南は長井市・西置賜にしおきたま白鷹しらたか町、西は西川にしかわ町・西置賜郡小国おぐに町に接する。越後山脈の北端主峰大朝日おおあさひ岳一八七〇・三メートルを中心とする朝日連峰が南西部に、白鷹丘陵が東部に連なり、その間を朝日川・送橋おくりはし川・大谷おおや川が流れ下り、東部を北流する最上川に合流する。最上川は朝日・白鷹両山塊を縫うように穿入蛇行し、五百川いもがわ峡谷とよばれる急流を形成する。この先行性河流は下刻とともに側食も行って、沿岸に二、三の段丘をのせた低地を形づくり、宮宿みやじゆく・大谷には環流丘陵状の段丘残片が認められる。これら峡谷や段丘上に集落が点在し、地形上、最上川東岸の東五百川(宮宿)、西岸の西五百川・大谷の三地区に大別される。

中流部の洪積段丘上、和合わごう大隅おおすみには山形県の旧石器時代文化研究の先駆となった遺跡をはじめ、縄文時代各期の多くの考古遺跡が存する。大沼おおぬま浮島うきしま稲荷神社、宮宿の豊龍ほうりゆう神社、大谷の白山神社の三社は平安時代には祀られていたと伝える。中世には寒河江さがえ庄に属し、浮島稲荷神社の別当大行だいぎよう院には長享二年(一四八八)の大江知広諸役免許状、天文一六年(一五四七)の大江兼広諸公事免許状などが残る。

朝日町
あさひちよう

面積:五二二・〇一平方キロ

昭和三七年(一九六二)一月、上川郡朝日村が町制を施行して成立。上川支庁管内北部に位置し、北は風連ふうれん町・下川しもかわ町、西は士別市、南は比布ぴつぷ町・愛別あいべつ町・上川町、東は網走支庁管内紋別郡滝上たきのうえ町に接する。天塩川最上流域に位置し、南東端の天塩岳、その北の藻瀬狩もせかり(九二五・七メートル)などの北見山地と丘陵が広がり、天塩川沿いに細長い平野を形成する。支流には似峡にさま川・岩尾内いわおない川・登和里とわり川・ペンケヌカナンプ川などがある。道路は東西に主要道道士別―滝の上線、南北に同下川―愛別あいべつ線が通る。「丁巳日誌」(天之穂日誌)にみえる「トワリ」(登和里)、「イワヲナイ」(岩尾内)、「サツクル」(柵留)、「ニシヤマナ」(似峡)などが町域に比定される。

朝日町
あさひちよう

面積:四五・五九平方キロ

丹生郡東部に位置し、東は鯖江市、北は清水しみず町、南は宮崎みやざき村、西は福井市・織田おた町に接する。南北一一キロ・東西一二キロで、町域の約三分の一を標高一〇〇メートル前後の低山地が占め、最高峰越知おち山は標高六一二・八メートル。当町の中心西田中にしたなかなど平野部にある集落と、常磐ときわ谷・糸生いとう谷の谷にある集落とからなる。天王てんのう川が曲流しながら常磐谷を通り、糸生谷を流れる越知川と合流、丹生山地を抜けて武生盆地に出た所が西田中で、近世まで三国みくに(現坂井郡三国町)から日野川・天王川を通る河川交通の終点として発展した。

朝日町
あさひまち

[現在地名]中区にしき三丁目

瀬戸物せともの町の南、山田やまだ町の北にあり、さくらの町筋と本重もとしげ町筋との間の三丁をさす。ほかにふくろ町筋の東などの区域を含む(町名起因並町家由緒)。もと清須きよすの朝日村出町(現西春日井郡)で、元和三年(一六一七)移転後も旧号を用いた(府城志)

朝日町
あさひちよう

面積:五・九三平方キロ

北から東にかけて桑名市、東から南は川越かわごえ町、西は四日市市に接する。東部・南部は平坦地、西部・北部は丘陵地。東北部の桑名市との境を員弁いなべ川が、西南の一端を朝明あさけ川が流れる。員弁川は当町付近で町屋まちや川とも称される。町の中央を南北に近鉄名古屋線が、やや西方を国鉄関西本線が、また近鉄線と並行して国道一号が町の東側を走る。町並は旧東海道の両側を中心として発達しているが、近年は西方の丘陵の宅地開発が進んでいる。

朝日町
あさひちよう

[現在地名]岩見沢市朝日町

市の南東部に位置し、西は志文しぶん町、東は奈良なら町。明治二九年(一八九六)徳島県人伊勢与利蔵ほか七戸・四一人が当時滝の上たきのうえとよばれていた当地に移住し開拓が始まった。同四二年幌内ほろない炭礦合資会社が採掘権を登録、鉱区を保有した。大正八年(一九一九)万字まんじ線朝日駅が開駅すると、同年北海道採炭株式会社の杉江仙次郎により朝日炭鉱が開鉱された。

朝日町
あさひまち

昭和二七年(一九五二)に設定された。南西はさくら町。北東を東四号、南西は東五号に挟まれ、北西はJR石北せきほく本線沿い、南東は常呂ところ川に面する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝日町」の意味・わかりやすい解説

朝日〔町〕
あさひ

山形県中部,朝日山地の東麓にある町。西境に大朝日岳,平岩山がそびえ,中央を朝日川が東流し,東部で最上川に合流する。 1954年大谷村,宮宿町,西五百川 (にしいもがわ) 村が合体して成立。最上川流域には集落が点在し,その一つ宮宿は古い城下町であるが,城は残っていない。江戸時代にはカラムシ,明治期には生糸の産地。米作,果樹を主とした農業で,蜜入リンゴは有名。朝日川には木川ダムがあり,木川,石田淵に発電所を備えている。 62年上郷ダムが建設された。大沼には大小約 50の島が浮遊して奇景を呈し,名勝に指定されている。大沼地区は三山行者の信仰地で,修験者が多い。元文4 (1739) 年に建てられた大庄屋佐竹家の住居は重要文化財。大朝日岳の東麓,朝日川渓谷に朝日鉱泉があり,登山者の基地,休憩地で,その一帯は,磐梯朝日国立公園に属している。面積 196.81km2。人口 6366(2020)。

朝日〔町〕
あさひ

富山県北東端にある町。1954年町と大家庄村,五箇庄村,境村,南保村,宮崎村,山崎村の 6村が合体して成立。東は新潟県に接し,北は日本海に面している。町域は北西部の小川流域平地部と東部の山岳地帯とからなる。中心地区の泊は北陸道の宿場町として発達。東部の境は関所があった地。西部は黒部扇状地の一部で早場米の水田単作地帯。水産業は宮崎漁港を基地にカニ,ブリ,タラ,ワカメの水揚げが多い。宮崎・境海岸から山地にかけて朝日県立自然公園に指定されている。小川の上流には小川元湯温泉がある。北部の海岸線に沿って,JR北陸本線,国道8号線,北陸自動車道が通り,朝日インターチェンジがある。面積 226.30km2(境界未定)。人口 1万1081(2020)。

朝日〔町〕
あさひ

三重県北部の町。 1954年町制。旧東海道 (現国道1号線) に沿う農村であったが,38年,電機工場が進出,以後工業の町として発展した。ほかにも金属など多数の工場が立地して,北勢工業地域に属する。平田篤胤 (あつたね) ,香川景樹,伴信友とともに天保の四大国学者の1人とされる橘守部の生地。朝日丘陵上には縄生 (なお) 廃寺跡が残る。面積 5.99km2。人口 1万1021(2020)。

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