金尾谷村(読み)かなおやむら

日本歴史地名大系 「金尾谷村」の解説

金尾谷村
かなおやむら

[現在地名]富浦町福沢ふくざわ

白坂しらさか村の南東に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高一六三石余、うち田方七二石余。里見氏給人領。同一一年の里見家分限帳には神野尾谷村、同一五年の里見家分限帳には神野谷村とある。里見氏改易後は幕府領となり、寛永一五年(一六三八)譜代大名三枝守昌に与えられた(「寛政重修諸家譜」など)正保郷帳では田高七七石余・畑高一〇七石余。三枝氏領は明暦元年(一六五五)収公されて幕府領となり、寛文八年(一六六八)勝山藩主酒井氏に与えられて幕末に至った(「寛政重修諸家譜」、元文村高帳・旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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