日本歴史地名大系 「金山町村」の解説 金山町村かなやままちむら 長野県:東筑摩郡四賀村金山町村[現在地名]四賀村錦部(にしきべ) 金山江戸時代松本藩領会田(あいだ)組で、のち幕府の金山領、その後幕府領。北は保福寺(ほうふくじ)川を境に保福寺町村に接する。中世には苅谷原(かりやはら)郷に属し、元和三年(一六一七)幕府の金山領が成立し、延宝七年(一六七九)金山町村として初めて七石一斗七升一合の村高が記され、天保三年(一八三二)信濃国十郡高附帳では八石三斗一升となった。松本城主石川康長の時、保福寺町村のヲシカ沢に鉛山が発見されて報告されたが、発掘処理ができず、甲州浪人甘利弥右ヱ門らを保福寺に招き、ひそかに一〇年ほど掘らせた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by