赤怒田村(読み)あかんたむら

日本歴史地名大系 「赤怒田村」の解説

赤怒田村
あかんたむら

[現在地名]四賀村錦部にしきべ 赤怒田

松本藩領の会田あいだ組、のち幕府の金山かなやま(金山町村)領、その後幕府領。東西に流れる保福寺ほうふくじ川中流の両側に位置し、東は金山町村、西は七嵐ななあらし村に接する。

古代には錦服にしごり郷を構成したと考えられ、錦織にしごり駅も本村と七嵐村の地にかけてあったと推測される。天正検地(一五九〇)の際は苅谷原かりやはら郷に属し、元和三年(一六一七)成立の金山領に属した。寛永六年(一六二九)の検地で二七六石三斗六升三合の赤怒田村が初めて成立した。のち享保一〇年(一七二五)金山組ながら水野壱岐守領となり、天保三年(一八三二)の信濃国十郡高附帳では二六八石の高となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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