日本大百科全書(ニッポニカ) 「金蘭方」の意味・わかりやすい解説
金蘭方
きんらんほう
平安時代の医書。出雲広貞(いずものひろさだ)の子、菅原岑嗣(すがわらのみねつぐ)(793―870)が、清和(せいわ)天皇の勅を奉じて、貞観(じょうがん)年間(859~877)に、物部広泉(もののべのこうせん)、当麻鴨継(たいまのかもつぐ)、大神庸主(おおみわのつねぬし)らとともに撰(せん)した。『三代実録』にそのことがみえる。巻数について『本朝医書目録』仁和寺御室(にんなじおむろ)書目に50巻とある。現在、久志本本、東本、牛島本、南条本などの流布本が伝わっているが、いずれも偽撰とされ、そのことについては、幕末の和方医家、佐藤方定(のりさだ)が『奇魂』で論じたのをはじめ、多くの学者が偽書と断じている。また平安写とも鎌倉末写ともいわれる巻1~3、巻8~23の残欠巻子本5本が宮内庁書陵部に現存するが、これは12世紀以降の偽作と考察され、したがって今日、原書の内容を知る資料は残っていない。
[小曽戸洋]