朝日日本歴史人物事典 「菅原岑嗣」の解説
菅原岑嗣
生年:延暦12(793)
平安前期の医官。左京(京都市)の人。父の出雲広貞は『大同類聚方』の編者として知られる名医。家業を継ぎ,弘仁14(823)年医博士。以後累進し,内薬佑,侍医,摂津大目を兼ね,淳和天皇の寵遇を受け,尾張権介,美濃権介,越後守,播磨介を歴任。従五位上,典薬頭に至る。貞観5(863)年隠居。同10年出雲姓を菅原に改姓。勅命により諸名医とともに『金蘭方』を編纂したとされるが,現伝本50巻は後世の偽選であり,その成立を貞観10年としたり,共編者を物部広泉,当麻鴨継,大神庸主とする通説も偽選書にもとづく誤りである。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報