菅原岑嗣(読み)すがわらのみねつぐ

朝日日本歴史人物事典 「菅原岑嗣」の解説

菅原岑嗣

没年貞観12.3.30(870.5.4)
生年延暦12(793)
平安前期の医官。左京(京都市)の人。父の出雲広貞は『大同類聚方』の編者として知られる名医家業を継ぎ,弘仁14(823)年医博士。以後累進し,内薬佑,侍医,摂津大目を兼ね,淳和天皇寵遇を受け,尾張権介,美濃権介,越後守,播磨介を歴任。従五位上,典薬頭に至る。貞観5(863)年隠居。同10年出雲姓を菅原改姓勅命により諸名医とともに『金蘭方』を編纂したとされるが,現伝本50巻は後世の偽選であり,その成立を貞観10年としたり,共編者を物部広泉,当麻鴨継,大神庸主とする通説も偽選書にもとづく誤りである。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菅原岑嗣」の意味・わかりやすい解説

菅原岑嗣
すがわらのみねつぐ

[生]延暦12(793)
[没]貞観12(870).3.30.
平安時代前期の医家。父出雲朝臣広貞も医家。勅命によって医得業生となり,弘仁 13 (822) 年左兵衛医師,翌年医博士。天長4 (827) 年内薬佐を兼任,同7年侍医。のちに典薬頭となる。貞観年間 (859~877) に勅によって,物部広泉,当麻鴨継,大神虎主らと『金蘭方』 50巻を編集したが,原本は伝えられていない。貞観 10 (868) 年,出雲姓を菅原と改めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原岑嗣」の解説

菅原岑嗣 すがわらの-みねつぐ

793-870 平安時代前期の医師。
延暦(えんりゃく)12年生まれ。出雲(いずもの)広貞の子。淳和(じゅんな)天皇の信頼があつく,医博士,侍医をつとめる。天安2年(858)典薬頭(てんやくのかみ)。貞観(じょうがん)10年出雲姓から菅原に改姓。清和天皇の命で「金蘭方(きんらんぽう)」の編集にたずさわった。貞観12年3月30日死去。78歳。

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