物部広泉(読み)もののべのひろいずみ

朝日日本歴史人物事典 「物部広泉」の解説

物部広泉

没年貞観2.10.3(860.10.20)
生年延暦4(785)
平安前期の医官。伊予国風早郡(愛媛県北条市)の出身左京(京都市)に住む。若くして医術を学び多くの医書に通じた。天長4(827)年医博士兼典薬允。のち侍医・内薬正,次侍従伊予権掾。斉衡1(854)年朝臣の姓を賜り首の姓を改める。のち肥前介,三河権介,三河権守を歴任し,正五位下で没した。『三代実録』によると,薬石の道にかけては当時肩を並べるもののない上手で,老いてなお壮健であったという。養生書『摂養要決』全20巻を著したが失伝。『金蘭方』の選者のひとりとする通説は,偽選書にもとづく誤りである。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「物部広泉」の意味・わかりやすい解説

物部広泉(もののべこうせん)
もののべこうせん
(785―860)

平安時代の医家。伊予国(愛媛県)の生まれ。年少より医術を学び、医書を博覧し、827年(天長4)医博士兼典薬允(じょう)となり、侍医に進み、従(じゅ)五位下内薬正を兼ね、854年(斉衡1)首(おびと)の姓(かばね)を改め朝臣(あそみ)を賜り、のち正五位下に昇進した。薬石の道には古今独歩世評があり、老境に至っても若々しく不老長生の丹薬に通じていたとされ、日本最初の養生法の専門書『撰養要訣(せんようようけつ)』を撰した。

[宗田 一]


物部広泉(もののべのひろいずみ)
もののべのひろいずみ

物部広泉

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「物部広泉」の解説

物部広泉 もののべの-ひろいずみ

785-860 平安時代前期の医師
延暦(えんりゃく)4年生まれ。医博士,のち侍医,内薬正(かみ)にすすむ。薬石の術は当時独歩で,老いても壮健だったという。養生書「摂養要決」20巻をあらわしたが,のこっていない。貞観(じょうがん)2年10月3日死去。76歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

コンビニ交付

マイナンバーカードを利用して、自治体が発行する各種証明書をコンビニやスーパー、郵便局などで取得できるサービス。申請から受け取りまでの手続きがマルチコピー端末で完結する。2023年12月からはマイナカ...

コンビニ交付の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android