朝日日本歴史人物事典 「物部広泉」の解説
物部広泉
生年:延暦4(785)
平安前期の医官。伊予国風早郡(愛媛県北条市)の出身で左京(京都市)に住む。若くして医術を学び多くの医書に通じた。天長4(827)年医博士兼典薬允。のち侍医・内薬正,次侍従・伊予権掾。斉衡1(854)年朝臣の姓を賜り首の姓を改める。のち肥前介,三河権介,三河権守を歴任し,正五位下で没した。『三代実録』によると,薬石の道にかけては当時肩を並べるもののない上手で,老いてなお壮健であったという。養生書『摂養要決』全20巻を著したが失伝。『金蘭方』の選者のひとりとする通説は,偽選書にもとづく誤りである。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報