物部広泉(もののべこうせん)
もののべこうせん
(785―860)
平安時代の医家。伊予国(愛媛県)の生まれ。年少より医術を学び、医書を博覧し、827年(天長4)医博士兼典薬允(じょう)となり、侍医に進み、従(じゅ)五位下内薬正を兼ね、854年(斉衡1)首(おびと)の姓(かばね)を改め朝臣(あそみ)を賜り、のち正五位下に昇進した。薬石の道には古今独歩の世評があり、老境に至っても若々しく不老長生の丹薬に通じていたとされ、日本最初の養生法の専門書『撰養要訣(せんようようけつ)』を撰した。
[宗田 一]
物部広泉(もののべのひろいずみ)
もののべのひろいずみ
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
物部広泉 もののべの-ひろいずみ
785-860 平安時代前期の医師。
延暦(えんりゃく)4年生まれ。医博士,のち侍医,内薬正(かみ)にすすむ。薬石の術は当時独歩で,老いても壮健だったという。養生書「摂養要決」20巻をあらわしたが,のこっていない。貞観(じょうがん)2年10月3日死去。76歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 