金道分(読み)こんどうぶん

日本歴史地名大系 「金道分」の解説

金道分
こんどうぶん

[現在地名]河東町郡山こおりやま

北西熊野堂くまのどう村、南東横堀よこぼり村、南西は郡山村。寛政五年(一七九三)の開村で、「新編会津風土記」の熊野堂村の項に「小名 近藤 本村より十一町巳の方にあり、寛政五年開く、家数九軒、東西四十二間南北一町六間、四方田圃なり、戌の方に家数二軒あり」と記される。藤倉ふじくら村肝煎近藤丈助の助力で開村したというが、文政年間(一八一八―三〇)近藤こんどうを金道に改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む