鉄砲塚町
てつぽうづかちよう
[現在地名]東区相生町
九十軒町の北、赤塚町の南にある。飯田町の筋と主税町筋、あるいはその北、白壁町筋との間をいう(府城志、金鱗九十九之塵)。江戸初期に鉄砲稽古場と塩硝蔵とが設けられ東新町ともよばれた(金鱗九十九之塵、尾張城南陌名由緒)。慶安三年(一六五〇)鉄砲練習場は建中寺の東(現車道町付近)へ、塩硝蔵は萱場(現千種区)へ移転、跡は武家屋敷地・町地として開発された。町の名称は右の由緒にちなむ(尾張名陽図会、府城志)。鉄砲場はやがて矢田河原、春日井郡大幸村地内に再び移った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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