鉄砲矢場跡
てつぽうやばあと
[現在地名]東区布池町・東矢場町
藩の鉄砲練習場は、鉄砲一丁矢場・鉄砲目当場または広場などともよばれ、初めは鉄砲塚町(現相生町)にあった。慶安三年(一六五〇)建中寺東南方の東矢場町に、さらに寛文六年(一六六六)矢田河原に移されたといわれる(府城志、編年大略)。ただし「御日記頭書」元禄一〇年(一六九七)の条に「一町鉄砲場出来、只今の一町場は御下屋敷程近く候」とあり、それ以後の宝永六年(一七〇九)頃および明和九年(一七七二)頃の城下図(蓬左文庫蔵)には東矢場町辺に描かれ、また文化(一八〇四―一八)頃の図には東矢場町辺と御下屋敷の東端と二ヵ所に出ている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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