鍵田忠三郎(読み)カギタ チュウザブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鍵田忠三郎」の解説

鍵田 忠三郎
カギタ チュウザブロウ


肩書
元・奈良市長,元・衆院議員(自民党)

生年月日
大正11年7月25日

出生地
奈良県

学歴
拓殖大学〔昭和18年〕卒

経歴
昭和26年29歳で奈良県議。その後、新若草山ドライブウェー、三笠温泉開発などの事業を手がけたが、38歳当時、胸を病んで2ケ月の命と宣告され、死ぬ気で四国遍路に。生命をとりとめ、42年以来、奈良市長に4選。雲の動きで地震を予知し、“地震雲市長”の異名で知られた。48年中国・西安市と友好都市の関係を結び、日本全国の自治体が中国の市と友好都市関係を結ぶきっかけとなる。58年奈良全県区から衆院議員に当選、1期つとめた。61年落選。

受賞
西安市名誉市民〔昭和59年〕 勲三等瑞宝章〔平成5年〕

没年月日
平成6年10月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報