長原庄(読み)ながはらのしよう

日本歴史地名大系 「長原庄」の解説

長原庄
ながはらのしよう

嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院御領目録(竹内文平文書)の「庁分」のうちに「大和国長原庄」、「蓮花心院領」のうちに「大和国長原庄」とあり、亀山天皇皇女昭慶門院憙子内親王領で、一部は現京都市にあった蓮華心れんげしん院が領家であった。同院は鳥羽天皇皇女八条院子内親王の山荘を寺に改めたものであり、これらからみると、長原庄はもと八条院領であったと考えられる。同庄の所在は荘号からみると、現永原ながはら町に比定される。

一方、応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)山辺郡に「一乗院方 長原庄三十町」とあるが、この長原庄は興福寺一乗院領と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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