長国村
ながくにむら
[現在地名]大網白里町長国
桂山村の南に位置し、東部を南白亀川、南部を小中川が流れ、当地で合流する。北部を土気往還が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一五三石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では清名幸谷組に属し、旗本村上領。領主は幕末まで同じ(慶応二年「捉飼場五郷連印帳」渡辺家文書)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三三。同七年の将軍徳川家斉の鹿狩では勢子人足一二人を出した(「山辺郡人足控」大原家文書)。春日神社が鎮座。元禄一一年(一六九八)当村に生れた行信(のち日進)は、不受不施派の法華経信仰を広め、法義の分れる法華宗寺院と対立した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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