日本歴史地名大系 「長崎町」の解説
長崎町
ながさきまち
- 長崎県:長崎市
- 長崎町
戦国期に成立した商業都市で、江戸時代は日本で唯一のヨーロッパとの交易地として発展、幕府直轄の湊として重きをなした。その性格は異国・異域と日本を結ぶ境界の地(長崎口)、異国人が往来(または居留)する湊、イエズス会の支配する宗教都市、交易上の特権的な湊市、有力商人による自治的な都市など多様な側面をもつ。長崎市中ともみえる。
〔六ヵ町の創立〕
元亀元年(一五七〇)大村純忠が領内の長崎湊をポルトガルとの貿易港としたことに伴い、諸地域から商人らが集住、同二年にこうした人口増加に対して商人町の造成に着手した。町域は普請以前は草原であったとも(カリオン書簡)、また麦畠とも(長崎剳記)、森林ともいわれる(耶蘇会史)。町割は家臣朝長対馬守が中心で、
一五八二年二月当時、長崎に布教機関としてカーザが置かれていた。一五八五年長崎にはイエズス会のパードレ四人・イルマン二人が駐在、毎年五〇万クルサドの銀を輸出、生糸・緞子・麝香・黄金などを輸入しており、日本の各地から多数の異教徒が家族とともに来住するが、キリシタンでなければ居住が許されないので、毎年三〇〇人余の受洗者があり、二年前にポルトガル風の慈善院が建てられたという(同年一〇月一日「フロイス書簡」イエズス会日本年報)。
長崎町
ながさきまち
堺町の南にある。魚町の南の最初の一丁が長崎町に相当する。古くは「境町長崎町」の辺りは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報