長春会議(読み)ちょうしゅんかいぎ

改訂新版 世界大百科事典 「長春会議」の意味・わかりやすい解説

長春会議 (ちょうしゅんかいぎ)

日本軍のシベリア出兵下の1922年,日ソ国交樹立のために中国長春で開かれた日本と極東共和国間の会議。両国代表は1921年8月の大連会議で通商関係の設定,日本軍の撤退条件などを討議したが22年4月会議は決裂した。6月成立した加藤友三郎内閣は,シベリア派遣軍を10月末までに撤退すると声明し,交渉再開の機運が生まれた。会議は9月4日から長春で再開され,日本側代表は松平恒雄欧米局長と松島肇総領事,極東共和国側はヤンソン外相,さらにソビエト代表ヨッフェが加わった。最初ソビエト政府の参加形式について紛議を生じたが日本側は妥協した。日本政府のねらいは,極東共和国を緩衝国として強化し,撤兵実施に先立って極東ロシアにおける日本の経済活動の自由の保障を獲得し,漁業その他の利権を確保することにあった。しかし北樺太撤兵に関しては,これを尼港事件の解決と正式のソビエト政府樹立のあとにしようとする日本と,即時撤兵を主張するソビエト側との間で主張が対立し,交渉は暗礁にのりあげ,9月25日決裂した。
日ソ基本条約
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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