コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

加藤友三郎内閣 かとうともさぶろうないかく

2件 の用語解説(加藤友三郎内閣の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

加藤友三郎内閣【かとうともさぶろうないかく】

1922年6月12日―1923年8月26日。高橋是清内閣のあと,官僚・貴族院議員を中心に組閣,政友会が支持。加藤が海相も兼ね,ワシントン会議による軍縮,シベリア撤兵を実現。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加藤友三郎内閣
かとうともさぶろうないかく

(1922.6.12~1923.9.2 大正11~12)
政党に直接の基礎を置かず、官僚と貴族院を母体にして成立した超然内閣。高橋是清(たかはしこれきよ)内閣が立憲政友会の内紛により総辞職ののち、海軍大将加藤友三郎が組閣。憲政会内閣の出現を恐れた立憲政友会が閣外協力を表明して成立した。民本主義的世論は「変態内閣」「憲政の逆転」とこれを批判し、加藤首相のあだ名「燃え残りのロウソク」をとって「残燭内閣(ざんしょくないかく)」とからかった。しかし加藤内閣は内外の平和要求にこたえ、1922年10月シベリア撤兵を完了し、ソビエトとの国交回復交渉を行った。また、高橋内閣が調印したワシントン海軍軍縮条約の線に沿い、軍艦14隻廃艦、6隻建造中止、海軍将校約1700名と下士官兵約5800名整理、職工約1万4000名解雇、軍港・要港の格下げと廃止、部局の統廃合などの海軍軍縮を断行。ついで山梨半造陸相によって陸軍将校約1800名と准士官以下約5万6000名および馬匹約1万3000頭を削減した(山梨軍縮)。同時に行財政整理を進め、臨時外交調査委員会、防務会議、国勢院などが廃止された。しかし他方では、普通選挙法案に反対し、小作争議調停法案を議会に提出したが(労働組合法案と過激社会運動取締法案は未提出)、三悪法反対運動にあい不成立に終わった。加藤首相の病死により8月26日総辞職し、内田康哉(うちだやすや)外相が臨時首相として残務を整理した。後継内閣は、山本権兵衛(やまもとごんべえ)によって第二次山本内閣が組織された。[木坂順一郎]
『林茂・辻清明編『日本内閣史録2』(1981・第一法規出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

加藤友三郎内閣の関連キーワード地震清岡等葛蔵治島村元谷野格辻喜代蔵戸田忠延中御門資煕水野勝愛三宅康和

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone