日本大百科全書(ニッポニカ) 「長江中下游平原」の意味・わかりやすい解説
長江中下游平原
ちょうこうちゅうかゆうへいげん / チャンチヤンチョンシヤユーピンユワン
中国中東部、長江(揚子江(ようすこう))中・下流域の平原。四川(しせん)省と湖北省との省境にある三峡(さんきょう)以東、淮陽(わいよう)山地と黄淮(こうわい)平原以南、江南丘陵および浙閩(せつびん)丘陵以北に位置し、長江と漢水をはじめ数多くの支流の沖積により形成される。面積約20万平方キロメートルで、西より両湖(りょうこ)平原、鄱陽(はよう)平原、皖中(かんちゅう)平原、長江三角洲などに区分される。地形は低く平坦(へいたん)で、ほとんどの地域が標高50メートル前後かそれ以下である。無数の湖沼の間を水路が縦横に走り「水郷沢国(すいごうたくこく)」の称がある。唐・宋(そう)代より水稲生産の中心地で「魚米之郷(ぎょまいのごう)」ともよばれ、中国の穀倉地帯として水稲、小麦、綿花、養蚕など農業が発達している。また明(みん)・清(しん)代には製糸、絹織物、綿織物などさまざまな農村手工業が発展し、主たる交通手段である内陸水運を通じて中国各地へ運搬された。現在は武漢(ぶかん)、南京(ナンキン)、上海(シャンハイ)を中心に工業の発展が著しく、中国経済の近代化の原動力となっている。
[林 和生]