長沢鼎(読み)ナガサワ カナエ

20世紀日本人名事典 「長沢鼎」の解説

長沢 鼎
ナガサワ カナエ

江戸時代末期・明治期の葡萄酒醸造業者



生年
安政1年(1855年)

没年
昭和9(1934)年3月1日

出生地
薩摩国鹿児島(鹿児島県)

本名
磯長 彦助(イソナガ ヒコスケ)

主な受賞名〔年〕
勲五等双光旭日章,大礼記念章

経歴
薩摩藩の開成所で英学を学ぶ。最年少の14歳で同藩の海外留学生に選ばれ、慶応元年渡英。幕府の目をくらますため脱藩の形をとり、長沢鼎と変名。のち3年森有礼らと共に渡米、米国人ハリスに従いカリフォルニア州サンタローザでぶどう園を経営。明治維新後も帰国せず、ハリスのぶどう園を引継ぎ、「ふどう王」といわれるほどの成功をなした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長沢鼎」の解説

長沢鼎 ながさわ-かなえ

1852-1934 明治-昭和時代前期の海外農場経営者。
安政元年生まれ。慶応元年薩摩(さつま)鹿児島藩の留学生としてイギリスへ派遣される。2年後森有礼(ありのり)らとアメリカにわたり,ひとりカリフォルニア州サンタローザにとどまって葡萄(ぶどう)園の経営に成功。昭和9年3月1日死去。81歳。本名磯永彦助

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長沢鼎の言及

【日系アメリカ人】より

…日本もその例外ではなく,アメリカへの移民は大部分が農村の自小作層が占めていたが,アメリカでの稼ぎが大きなことがわかると,しだいに上層農へと波及していった。そのほか,徴兵忌避者や留学生上がりのインテリも少なくはない(例えば幕末の薩摩藩留学生長沢鼎(かなえ)(1852‐1934。本名磯永彦輔))。…

※「長沢鼎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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