鹿児島藩(読み)かごしまはん

百科事典マイペディア 「鹿児島藩」の意味・わかりやすい解説

鹿児島藩【かごしまはん】

薩摩(さつま)国鹿児島に藩庁を置いた外様藩。薩摩藩とも。藩主島津氏。薩摩・大隅(おおすみ)の2国と日向(ひゅうが)国の1郡を領し,1609年琉球を藩の支配下に置いて領知高73万石余。圧倒的な士族人口が外城(とじょう)制度によって他を支配,江戸時代を通じてほとんど一揆(いっき)がなかった。奄美(あまみ)の黒糖専売のほか諸産業の振興,密貿易などにより富国となり,長州とともに幕末の政争を主導した。明治維新後も政治家・官僚軍人を輩出して薩摩閥を形成した。→藩閥政治
→関連項目奄美大島奄美諸島沖永良部島お由羅騒動鹿児島[県]門割制度喜界島旧鹿児島紡績所技師館旧集成館甑島列島西郷隆盛桜島薩土盟約薩摩国島津家久島津家文書島津国史関吉の疎水溝種子島寺山炭窯跡吐【か】喇列島徳之島外城制度長島(鹿児島)萩藩宝暦治水事件屋久島与論島

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鹿児島藩」の解説

鹿児島藩
かごしまはん

薩摩藩とも。薩摩国鹿児島(現,鹿児島市)を城地とする外様大藩。薩摩・大隅・日向3国から北・中部九州まで勢力をのばしていた島津氏の所領は,豊臣秀吉の九州平定で薩摩・大隅2国と日向国諸県(もろかた)郡に減封された。関ケ原の戦では西軍に属したが本領安堵。同藩初代藩主となった家久は1609年(慶長14)幕府の承認のもと琉球王国を侵略,以後琉球の進貢貿易を利用し,中国との貿易関係を保った。藩領は琉球王国を加えて72万8700石余。中世以来の支配関係が外城(とじょう)制度・門割(かどわり)制度などで藩体制に温存され,家臣も一般的に地方(じかた)知行で,逃散(ちょうさん)を除けば百姓一揆が非常に少なかった。新田開発や山ケ野・芹ケ野・鹿籠(かご)などの金山開発を行ったが,火山・台風などの自然災害や徳川氏との婚姻などで藩財政はしだいに窮迫。1753年(宝暦3)の木曾川治水の御手伝普請(宝暦治水事件)で決定的になり,1808年(文化5)藩財政改革をめぐる藩内抗争の近思録(きんしろく)崩れにより事態はさらに深刻化した。しかし三島(さんとう)砂糖惣買入制,琉球貿易の拡大,借銀の250年賦償還法などを骨子とする調所広郷(ずしょひろさと)による天保改革で,藩債500万両といわれた藩財政も好転。お由羅(ゆら)騒動後は斉彬(なりあきら)が藩政を主導し,洋式軍制・藩営事業を推進。国事政治にも参画した。斉彬死後は弟久光が実権を握り,雄藩連合政権を構想するが,のち下級武士出身の西郷隆盛の指導で幕末政争の主導権を掌握し,討幕を実現。以後維新政府の中心となった。詰席は大廊下。藩校造士館。廃藩後は鹿児島県となる。

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デジタル大辞泉プラス 「鹿児島藩」の解説

鹿児島藩

薩摩国、薩摩藩の別称。鹿児島(現:鹿児島県鹿児島市)を本拠地としたことから。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿児島藩」の意味・わかりやすい解説

鹿児島藩
かごしまはん

薩摩藩

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

藩名・旧国名がわかる事典 「鹿児島藩」の解説

かごしまはん【鹿児島藩】

薩摩藩(さつまはん)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿児島藩」の意味・わかりやすい解説

鹿児島藩
かごしまはん

薩摩藩」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の鹿児島藩の言及

【薩摩藩】より

…薩摩国(鹿児島県)鹿児島に藩庁を置く外様大藩。鹿児島藩ともいう。藩主島津氏。…

※「鹿児島藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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