長泉寺城跡(読み)ちようせんじじようあと

日本歴史地名大系 「長泉寺城跡」の解説

長泉寺城跡
ちようせんじじようあと

[現在地名]鯖江市小黒町

長泉寺の西方、通称三角さんかく(一一三メートル)山頂にある。天正二年(一五七四)正月、府中(現武生市)富田長繁(長秀)は越前守護代桂田長俊(前波吉継)を滅ぼしたが、同二月、一向一揆勢に攻撃され、長泉寺山に陣を置いた朝倉景健・同景胤との合戦に敗れ、滅亡した。富田方には府中の町衆誠照じようしよう寺・証誠しようじよう寺の衆徒が味方していた。「朝倉始末記」は「雖然、朝倉孫三郎・同名三郎景胤ハ、態ト一軍モセズシテ、長泉寺ノ高山ニ居陣アリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 茶臼山城跡

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む