長狭郷
ながさごう
現打墨・南小町・北小町付近に比定される。石井光雄氏所蔵の胎蔵界沙汰付小野延命院次第の建長五年(一二五三)九月一四日付奥書に「長佐郷打墨□」とある。現長南町笠森寺が所蔵する観音堂須弥檀枠板の天正一〇年(一五八二)六月八日付墨書銘に「房州長狭村 小町住人 佐藤弥太郎願之為書之」、同一四年三月三日付墨書銘にも「房州長狭村 小町住人 佐藤地引内蔵助弥太郎」とある。
長狭郷
ながさごう
「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本・名博本には記されず、東急本・元和古活字本には記載があるものの、訓を欠く。安房国長狭郡によりナカサであろうか。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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