長福寺村(読み)ちようふくじむら

日本歴史地名大系 「長福寺村」の解説

長福寺村
ちようふくじむら

[現在地名]近江八幡市長福寺町

上田うえだ村の南にある。瓶割かめわり(長光寺山)の一峰岩倉いわくら山の北麓にあたり、西は千僧供せんぞく村、東から南にかけては長光寺ちようこうじ村。寛永一〇年(一六三三)山城淀藩永井氏領、寛文九年(一六六九)同氏転封により丹後宮津藩領、延宝八年(一六八〇)甲斐甲府藩領となる。正徳元年(一七一一)から美濃加納藩領となり、のち山城淀藩領となった。元和七年成箇帳(芦浦観音寺文書)では高二九二石余、永荒・山くえ高一九石余、いもち・日損高二石余で、物成は一七三石余(うち一七石余は大豆納)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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