日本歴史地名大系 「岩倉村」の解説
岩倉村
いわくらむら
- 愛知県:岩倉市
- 岩倉村
北は
成瀬隼人正の采地村。高三千四六四石余、田は一一七町七反三畝余、畑は一三六町八畝余。その他、隼人正采地の新田高九八石余、田は八町四反七畝余、畑は二町一畝余。
岩倉村
いわくらむら
卯垣村の南東に位置し、村名は磐座、もしくは国府北西の境界地に置かれた古代の兵庫にちなむという(因幡志)。文政年間(一八一八―三〇)の法美郡全図(県立図書館蔵)には北部の「奥ノ郡家谷」にいくつかの溜池が描かれている。拝領高は四一九石余、本免は五ツ七分。藪役銀一匁七分・宇倍野山役米三斗余を課されており(藩史)、秋田氏・清水氏の給地があった(給人所付帳)。宝暦八年(一七五八)の水帳(田中家文書)によれば高四五八石余で、名請人数は四四。名請人の持高の構成は八〇石未満―六〇石以上二、四〇石未満―三〇石以上二(うち入作一)、三〇石未満―二〇石以上四(うち入作一)、一六石未満―一二石以上三(うち入作一)、一二石未満―八石以上三、八石未満―四石以上五(うち入作一)、四石未満―一石以上一七(うち入作七)、一石未満八(うち入作一)。「因幡志」では家数三六。
岩倉村
いわくらむら
脇町の西、東流する吉野川の左岸(北岸)に位置し、北は岩倉山、西は
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
- 三重県:鳥羽市
- 岩倉村
鳥羽湾に流入する
岩倉村
いわぐらむら
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
- 滋賀県:近江八幡市
- 岩倉村
馬淵村の東にある。岩倉山(瓶割山の一峰)の西麓にあたり、南は
岩倉村
いわくらむら
- 岡山県:井原市
- 岩倉村
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
- 兵庫県:三田市
- 岩倉村
岩倉村
いわくらむら
- 秋田県:男鹿市
- 岩倉村
男鹿半島の南頸部、
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「岩倉村 宮沢村」として二八三石九斗五升二合とあり、文禄三年(一五九四)の小鹿嶋之内知行方帳(秋田藩家蔵文書)には岩倉村九七石六斗九升とある。一六世紀中頃の羽黒山衆徒との合戦中、男鹿の大将涌本五郎親季の戦いぶりをみて「同男鹿の住人岩倉右近、此の由見て、大将討すなと百余人、小船に打乗り、押出る」(奥羽永慶軍記)とある岩倉右近は岩倉村の住人であろうか。
岩倉村
いわくらむら
- 鳥取県:倉吉市
- 岩倉村
岩倉村
いわくらむら
岩倉村
いわくらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報