長谷地新田村(読み)ながやちしんでんむら

日本歴史地名大系 「長谷地新田村」の解説

長谷地新田村
ながやちしんでんむら

[現在地名]河東町東長原ひがしながはら

日橋につぱし川左岸に位置し、南は東高野ひがしこうや分、西は茶臼森ちやうすもり新田村。寛永一一年(一六三四)の開村という(松本家文書・足利家文書)。村高は同二〇年は二八石余で、宝永三年(一七〇六)一九二石と増大(「御国中郡分村付組切覚帳」鈴木家文書)。代田組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高二二五石余。化政期の家数八(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数一〇・人数六五(人員録)。同八年東高野分など二村と合併して東長原村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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